大手ゼネコンで、デザイナーをしていた。 30平米の社宅に住んで、一泊30万の スイートをデザインしていた。 それはバーチャルな仕事だった。 フィジカルな、矛盾のない仕事をしよう、 「僕の歌」を、歌おうと思った。 ■ 大手ゼネコンでデザイナーをしていたとき、クライアントの、スイスの5つ星ホテル支配人の、接待の席に呼び出されたことがあった。 「うちの下平もヨットをやるんですよ」と、上司が振った。 こないだのバカンスはね、と支配人、 家族で1ヶ月、地中海をクルーズして、島巡りしたよ。 ディンギーで、江ノ島で、スプレイでびしょ濡れになっている僕とは次元が違った。 「君が提案してくれた、スイートルームの、ウイルトン織り絨毯、30ミリだね。私は25ミリの方が上質だと思うがどうだろう?」 田無の、築20年の、30平米の社宅に住んでいた。30ミリの絨毯を靴で踏んで歩いたことなどなかった。 朝から晩までオフィスに籠もり、陽ではなく蛍光灯の光を浴び、懸命に「自分には縁のない世界」のデザインを考えた。 深夜、くたくたになって、社宅に帰ってからも、狭い食卓に向かってスケッチした。 生まれたばかりの長男がよく夜鳴きをした。泣き声から逃れるため、布団をかぶって横になっていると、なんだか不安な気分になり眠れなくなることがよくあった。 僕のデザインは認められもしたが、認められても、どこか居心地が悪かった。 文献を当たって、想像する、バーチャルな仕事だったからだ。それは、触感や、実体験に即した、フィジカルなものではなかった。 支配人は後者だった。体験し尽くした上質を、一泊数十万のスイートを利用するような顧客に、確信をもってプレゼンしている。 …………。 「いい歌だから僕も歌う、君も歌わないか。」(浜野安弘・質素革命) そうだ、僕の仕事もこうあらねばならない。まず、僕自身が、自然体で気持ちいいと感じられる生活をしよう。そして、それが本当に素敵だと確信できたら、お客様にも提案しよう。 嘘の無い、矛盾の無い仕事をしよう。 |
「僕の歌」は 明らかだった。 海、だ。 高校はヨット部、三浦半島の先で合宿に明け暮れ、大学ではウインドサーフィンに打ち込み、世界選手権の強化選手になった。 35のとき社を辞め、独立。 妻、小1の長男、生まれたばかりの長女を連れて社宅を出、その後、現在の葉山一色に自宅兼事務所を設けた。 葉山移住は、海のそばで暮らしたいという僕自身の夢、健やかな家族生活の実現、フリーランスの建築家としての成功、それら3つを期する賭けだった。 そこに仕事があるのか、受注できるのかという不安に加え、都内で進行中の現場監理や、模型材料・設計用品はどこで買うかといった、些末だが現実的な問題が山積したが、強引に決断した。 ──9年を経た。 いまも現実と格闘していることに変わりはないが、「僕の歌」を歌ったことは正解だった。 海辺に、僕は暮らし、デザインをし、たとえばここに挙げた2例のような──住宅ではなく──生活づくりのお手伝いをした。 各論は2例を参照いただくとして、ここでは、僕の思想(、は偉そうだな)ビジョンを述べさせてもらおう。 前提として、住宅というパッケージではなく、それが実現する生活を、デザインするのだということ。 「ヨットが欲しい」と言うとき、彼は、飾って眺めたいから、ハードウエアとしてのそれが欲しいのではなく、 「一緒にセイリングすれば、最近こころが通わない、高校生の息子と、昔のように話せるのでは」などと、ヨットがもたらすストーリーを描いているはずなのである。 具体的方針は3つ。 1、カイテキではなくヨロコビ。 2、自然とヒトのインターフェイス。 3、家族や友との仲を深化させること。 まず1、箱根に行くのに、運転手つきのベンツか、自分でバイクを運転してゆくのかという話しである。 ベンツは快適に違いない。バイクは雨に降られたりもするだろう、ヨロコベるのはどちらだろう? 住宅で快適性ばかりを求めてゆくと、完全空調、24時間強制換気、どんどんインテリジェントビルみたいになってしまう。快適には違いない、けれど風や雨の気配は、遮断され、感じられない。五感は退化してしまう。 |
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僕のこの事務所(前号14ページ参照)、こんなに大きな天窓が開いて、空調はしていない。室温28度、湿度75%かも知れない。けれど風が抜けて、雨や潮の匂いも感じられる。 どんよりと曇った日、デスクワークに没頭して、夕方ふと目を上げると、天窓の向こうの空がオレンジに染まって、鳶が舞っていたりしている。 そういうことにヨロコビが見いだせる方ならば。 2、自然とヒトのインターフェイス。 立地環境が、住む人にヨロコビを与えてくれるなら、家はその増幅装置に徹し、自身が主張すべきではない。 (都市部などで環境が悪い場合は、逆に、シェルター的機能を要する場合もあるが) この好例が先に紹介した波待庵である。詳細はこのケーススタディを参照されたい。 3、家は、家族や友との仲を深化させる装置であるべきだ。 前項同様に、僕が大事にしていることだ。これも、次に紹介するケーススタディ・H氏邸を参照。 最近は「海辺の建築家」と呼ばれ、僕自身もそれを標榜している。 いつかの支配人のように、実感し、こころから素敵だと思える世界を、自信をもって、顧客に提案できるようになった。しかし決して、僕的世界観のクローンをつくりたいわけではない。 縁あって僕の顧客になる方々は、職業や履歴は百様だが、ある属性がある。 海で遊ぶことが好き、社交的、お酒が好き……。 かれらとの共同作業を通じて、ハイブリッドが、新たな価値、遺伝子が生まれる。それがいちばんの「ヨロコビ」かも知れない。(談) |