…………… a document of Kauli Seadi BRA-253 2009 ……………

a document of Kauli Seadi BRA-253

世界一のウェイブライダーであり、
有能な起業家であり、社会活動家であ
トッププロであっても、トップターンでは、多かれ少なかれ、テイルに乗っている。
が、カウリひとりは、トップで、"前乗り"し、ボトムターンのように、しかし鋭角に、
フルレイルでフルカーヴする。

ガールフレンドは、23歳の心理学専攻学生
ワールドチャンプである前に、ひとりのウインドサーファーであり、ただのロコボーイと
感じさせる。逆に言うと、ワールドチャンプという肩書きにさえ、とらわれていない。

家族で、NPO "カウリ・シアディ・インスティチュート"を設立
ブラジル、イビラクエラの、誰も見向きもしないこのコンディションで、
ひとり奇声を上げ、JAWS と同量のアドレナリンを分泌させている。

完全主義、現実主義、心配性
大会成績も凄いが、それより重要なのは、25歳にしてすでに──その先進的なライディング
スタイルやキャラクターイメージによって──カウリというブランドを確立していることだ。

カウリ・シアディ
■82年12月20日、ブラジル・フロリアノポリス生まれ。174cm/70kg。幼い頃からスポーツ万能、12歳でウインドサーフィンを始め、16歳でマウイに渡り、ほどなくトッププロに。PWAウェイブ年間王者3回。他者とは次元の異なるパフォーマンスレベルを誇り、ロビー、ビヨンに続くスパースター。
http://www.kauliseadi.com.brLinkIcon


MAIN RESULT
2009 2nd, Cabo Verde Wave
2008 PWA World Champion Wave
2007 PWA World Champion Wave
2006 PWA World ranking=2nd Wave
2005 PWA World Champion Wave

002.pdfdesign by Akito

003.pdf

004.pdf

Why Windsurfing?

■泥まみれのピックアップトラックが猛スピードでビーチに突っ込んでき、波打ち際手前10メートルで止まった。若い男が車から降り、いかにも手慣れた、無駄のない動きで見る間にウェイブセイルのセッティングを終えた。ウエットに着替え数秒とおかずにランチングする。
その機敏な動きから、筋肉の、並みではない強靱
さと柔軟さを、海に出ることに、いかにもうきうきとしていることが伺える。
男は見る間に何発もジャンプを、リップを決め、ビーチに立つ私にもくっきり聞こえる奇声を上げる。
数マイルも続くビーチだが、海に出ているのは彼だけ。寒く、暗雲低く垂れ、波は腰、そのうえ微風だから無理もない。
カウリ・シアディ。
カボベルデやニューカレドニアのパーフェクトウェイブにも、JAWS にもテイクオフした。贅沢だったり、巨大だったりする波にさんざん乗ったのに、ブラジル、イビラクエラの、誰も見向きもしないこのジャンクコンディションで、ひとり奇声を上げ、JAWS と同量のアドレナリンを分泌させている。
それは一例だが、カウリは、異常に非凡なウインドサーファーで、そのライディングは──誇張ではなく──他と次元が違う。
たとえばウェイブライディングにおけるカーヴィング。
ウインドサーフィンにおけるカーヴィングレベルは、レギュラーサーフィンでいえばロングボードとショートボードの中間に位置する。
トップターンでは、ロングボードはテイルに乗ってリップに当てるだけ。が、トップクラスのショートボーダーは、リップで、フルレイル・フルカーヴする。
端的に言えばつまり(ウインドの)ウェイブライダーは、トップターンでは、多かれ少なかれ、テイルに乗っている。
が、カウリひとりは、トップで、"前乗り"し、ボトムターンのように、しかし鋭角に、フルレイルでフルカーヴする。
明らかに他と次元が違う。たとえばジェイソン・ポラコウと較べてさえ。
それだけではない。トップでフルカーヴできるからこそメイクできるのだが、
「ボトムターンとリッピングの繰り返しなんて退屈」と、リップの、インパクトゾーンの、いちばん奥で、360やフラカや、もっとすごいのやら、とにかく "BIG MOVE" するのだ。
フリースタイルあがりだから器用で、アトラクティブでもある(自らを演出する能力に長けている)
ジャンプもしかり。エアチャーチョ、プッシュトゥバックのダブル……。
<1行アケ>
カウリは16歳の時マウイに渡ったが、ほどなくロビー・ナッシュにスカウトされ、彼によって秘蔵っ子的に育てられた。Naish Sailsの"BOXER" は、カウリの能力に触発され、そのパフォーマンスをさらに高めるべく開発された。

カウリはまだ25歳だが、プロウインドサーファーとして、多くを成し遂げている。
PWA WAVE 世界王者3回(2005/07/08)
フリースタイルでも2度、年間ランキング2位で終えている。
大会成績も凄いが、刮目すべきは、25歳にしてすでに──その先進的でユニークなライディングスタイルやキャラクターイメージによって──カウリというブランドを確立していることだ。
ブランドはもちろん経済的成功ももたらす。
ボードとセイルのシグネチャーモデルを持ち、南ブラジルの一等地に邸宅を持ち、自らのセイリングセンターがもうすぐ竣工する。

カウリがようやく海から上がってくる。
すでに陽は落ち、あたりは暗くなり始め、冷気がいっそう身に染みる。だがカウリの茶色い眼には海の上での熱さが残っている。
<1行アケ>
「ワールドチャンピオンなんだから、常に良いコンディションを求め、ピークパフォーマンスしてるんだろうってイメージがあるかも知れないけどね」
カウリが、心地よい疲れを味わうような調子で話し始める。
「でも僕だって、ただのんびり波に乗りたいときもあるし、ジャンプだけやりたい気分のときもあるさ」
ホームにいるときも、カウリはいつものように活動的なのだが、穏やかだ。ワールドチャンプである前に、ひとりのウインドサーファーであり、ただのロコボーイと感じさせる。
逆に言うと、ワールドチャンプという肩書きにさえ、とらわれていない。
カウリは、人口40万のビーチリゾート、サンタ・カタリーナ島のフロリアノポリスで育ち、いまも両親の家があるが、カウリが言う「ホーム」とは、フロリアノポリスの南80キロに位置する小さな漁村イビラクエラである。
そこに家を建てることは、12歳以来のカウリの夢だった。
イビラクエラは南ブラジルのウインドサーフィンメッカであり、永遠に続くかと思われるサンドビーチ、波、海岸線から数百メートルと離れてないところで鯨の親子がブリーチングする桃源郷である。
19歳にしてカウリはその夢を実現し、海を望む、ジャングルといってもオーバーではない原生の森の斜面を拓いて、木造の、海に向かって大きく開いた邸宅を建てた。
そこにはつねに友人がいて、カウリがひとりでいることはめずらしい。
昨夜はブラジルのトップフリースタイラー、マルシリオ・ブラウンと、ウェイブライダー、コナン・ラングが泊まっていて、今日からは別の3名が数日滞在する。
この家が建つまで、カウリは車でイビラクエラへ通っていた。風と波、ポイントを読み、時に渋滞する国道101号線を往復し、日に2時間、時には4時間も車中で過ごした。
友だちを大事にする、優しいカウリは、かれらにそんな思いをさせたくないのだろう。
カウリは年に4ヶ月、この家で過ごす。
あとの8ヶ月は世界をツアーしている。
アイルランド、ポルトガル、カナリーやシルトでのワールドカップ、マウイでのテストライディング……。

Difference between
Kauli and others

カウリは、フロリアノポリス・ラグーンのほとりの小さな家で育った。両親と妹の4人家族。
父リカルドはテニスインストラクターで
(ちなみに母クラウディアは教師で風水師)
幼いころからカウリにテニスを教えた。
カウリは才能を見せ、地域大会で優勝、準優勝するなどし、フロリアノポリス出身のプロ、グスタヴォ・クエルテン2世と評されることもあった。
が、12歳のときウインドサーフィンを体験し、虜になってしまった。
「ラケットを片付け、ウインドサーフィンに専念したいと伝えた。父は相当ショックだったようで、立ち直るのに1、2年を要したんじゃ……」

ブラジルでは、ウインドサーフィンは”素敵だけれど金が掛かる”スポーツで、庶民には縁遠い。
裕福ではなかったカウリの両親にとって、ウインドサーフィンはかなりの負担であったが、苦労は長くは続かなかった。
カウリはほどなくプロショップとスクールにスポンサードされ、中学生でブラジルのジュニアチャンピオンになるころには、ギアメーカー他にもサポートされるようになっていた。
ウエットスーツメーカーMormaii はカウリが13歳の時からのスポンサーで、現在も主要なスポンサーのひとつである。
16歳のとき、カウリは両親に、プロウインドサーファーとしてのキャリアを積むため、マウイに移住したいと切り出した。
プロテニスプレイヤーはさすがにあきらめていた両親だったが、カウリは学業も優秀だったので、プロになるより、大学に行った方がいいのではと慰留したが、その決意の固さに同意せざるを得なかった。
Mormiiが全ての費用を負担したマウイ移住は、先述のとおり、大きな収穫をもたらした。
ホキーパでのパフォーマンスはフォトグラファーがレンズを向けざるを得ないもので、クチコミやメディアによってカウリは世界に知られ、Naish のスポンサードや、ついでといってはなんだが、カウアイの美女の心も獲得した。

Mormaii はカウリを単に金銭的にサポートしただけではない。時勢は前後するが、同社のトレーニングキャンプに、カウリは3年間通い、プロアスリーツとしての身体的精神的な基礎を固めた。
毎朝5時に起き、バイクでプールへ通い、スイミング、を皮切りに、筋肉、心肺機能強化に留まらず、ヨガや栄養学なども含む、総合的なプログラムをこなした。
カウリがいまでもストイックなノルマを我が身に課していることは、友人たちがおしなべて感心し、尊敬するところである。
絶望的なコンディションでないかぎり、カウリは、毎日、長ければ6時間も海に出、ピラテスや精神修養を行い、規則正しい生活と自然食で自らを律している。

カウリはつねに目標を持ち、着実にそれらを実現し、現在もそれを実現しつつある。
クラブ・カウリ・シアディがもうすぐ竣工する。10日後、そのイビラクエラでサンタカタリーナ・ウインドサーフィン・チャンピオンシップが開催される。その晴れの場で、夢の、目標のひとつであったウインドサーフィン・センターを披露する。
カウリは現場監督と打ち合わせながら、サンルーフ設置作業を熱心に見ている。
この日は、スポンサーの広告用にジャンピングを撮影する予定で、カメラマンのトールステン・インドラはとっくにビーチに三脚を立て、望遠レンズを据え、カウリを待っていた。
ようやくあがった風だが、これぞカウリというエクストリームジャンピングには弱い。
セイリングセンターのことで頭がいっぱいのはずなのに、海に入るや、プッシュ、フォワード、エアチャーチョと、この弱い風で、他のプロのピーク並みのパフォーマンスを見せる。
波が整ってきたので、カウリは吸い寄せられるようにウェイブライディングを始める。
陽があるうちにノルマを撮らなければならないトールステン、カウリが遅刻したことも手伝ってイライラし、カウリを呼び寄せ、説教まじりで要求。楽しむときは楽しむべきだ、が、いまは仕事すべきときだ。
世界王者もその剣幕に逆ギレの様相、が、そこはプロフェッショナルで、叩きつけるように、しかし機械のように精密に、リストをこなしてゆく。
途中デッキパッドが剥がれ、大声で罵りながらボードを投げ捨てる。カウリにはめずらしいシーンだ。が、彼の場合、不機嫌は長続きしない。

夜、ディナーを終えたカウリは、竣工間近の「夢のひとつ」の屋上に座り、星を見上げながら、マネージャーのラーズと今後について語った。
カウリが所有するのは、自邸とこのセイリングセンターだけではない。
イビクエラのラグーン近くに広い土地。
街の眺めがいい丘の上の土地。
水が湧き果実樹が育つ農場。
カウリは世界一のプロウインドサーファーであり、少なくともかなり優れた起業家である。
まだピークにも達していない25歳なのに引退後を見据え、すでにその準備にかかっている。
自分のためだけではない。
ウインドサーフィンと故郷。それらにたくさんのものをもらったカウリは、ウインドサーフィンによって故郷に恩返しをしたいと、家族で、NPO "カウリ・シアディ・インスティチュート"を設立した。
フロリアノポリスや、バラダラゴアに暮らす貧しい子供たちにチャンスを与えたいと思っている。
父リカルドは、一流のテニスプレイヤーにすべく
キッズたちを育てる。
カウリは自分のセイリングセンターでウインドサーフィンを教える。
母クラウディアと妹のカティアは募金キャンペーン等の企画や事務。
プロジェクトはすでに始動していて、たとえば、ある双子の兄弟を育てている。ひょっとしたらプロとして活躍できるかもという。
かれらは学校帰りにラーズの家に寄り、道具を借りて海に出て行く。
でも、無償で道具を与えることが目的じゃないんだ、とカウリは言う。
ウインドサーフィンによって、自信を持ち、目標を設定し、そこに自分の足で歩いて行ける強さを与えたい。
簡単ではない。感謝の気持ちを忘れず、責任感を持ち、社会を学ばねばならない。彼ら(双子の兄弟)も、ある時期になったら、道具を得るために、たとえばここで働くとか、対価を提供せねばならない……。

そこまで話すと、カウリは、ローカルのチマッロを一口飲み、ぼんやりと湯気が立つひょうたん製のコップをラーズへ返し、海の上の満月を見上げる。鯨の呼吸が聞こえそうな静かな夜だ。
カウリは無言だが、眼を見ると、頭を忙しく回転させていることが分かる。
次に達成すべきこと、中長期的目標のための段取り……眼を覚ましているあいだじゅう、カウリは、身体的意識的に「活動」し続け、休むことがない。

Let me know
your next goal

翌日、いつものように忙しい。
カウリは果物とミューズリーの朝食をがつがつ食べる。風は無いが海へ急ぐ。サンタカタリーナのシルベイラで波乗り。
一ヘクタールほどの敷地のセカンドハウスが並ぶ美しいビーチ。波は頭程度とあまり大きくならないが、ブレイクはチュービーで上質だ。
カウリの波乗りを見ていると、プロサーファーとしても成功したろうと思う。
頭を振りながら上がってくる。
クレイジーだ、とひとこと。テイクオフ権を奪い合う、お決まりの地域紛争。
1時間で3本しか乗れなかったよ、とうんざり。
「やっぱウインドサーフィンだよなあ」

ガロパバの、Mormaiiの事務所へ。
一服もせず、ウェットスーツの撮影が決まる。
スチールカメラマンと、ムービーカメラマンもレンズを向けている。
器用な男だ。ウエットを次々と着替え、髪を乱し、ナイーブな少年になり、次の瞬間、肉食系のラテンマッチョになる。
カウリを知らない人が見たらプロのモデルだと疑わないだろう。それもかなりギャラの高い。
ライディングでもモデリングでも、カウリが、注目を浴び、より惹きつけるパフォーマンスをすることが嫌いなわけがない。
自宅に帰り、ガレージの20数枚のボードを、丹念に、ミリ単位で計測、メモしてゆく。
道具についても完全主義者なのだ。
イビラクエラのシェイパーで、何年もカウリのボードを手がけてきたアイヴァン・フローターはいう。
「海の上で、ベストな感触を得たとしても、それだけじゃ不満なんだ。カウリは、なぜそうなったか、物理的に理解しないと気がすまない」

これまでの、Naish、AHD、Quatroのシェーパーたちとの共同作業を通じて学び、今ではカウリ自身、理想のデザインを正確に引ける。
JPのシェーパー、ワーナー・ニグラーは、カウリの理想を現物にする。
カウリはいう。
「ワーナーがいるから、自分で削らなくていいんだよ」

サンタカタリーナのウインドサーフィン・チャンピオンシップ初日、そして"Kauli Seadi Club" 竣工披露の日である。
カウリは完全主義ゆえの心配性であり、現実主義者である。だからなんでも自分でやらないと気が済まない。弁当を持って、朝早々とセンターに向かい、バナーを設置したり、細かいことまでチェックしつつ、携帯を耳から離さない。
友人や大会参加選手や招待客が到着し始め、初めて見る者は、泥の荒地だったそこが青々とした芝生と輝くようなクラブハウスになっていることに驚いている。
最新のTwinzerが10枚、その倍の2008年モデルのウエイブボード、清潔なトイレやシャワー……。
どの顔も微笑みがあふれ幸せそうだ。
エマヌエラもいる。23歳の心理学専攻学生で、カウリのガールフレンドだ。
皆ながカウリを離さないので彼女はカウリと満足に話せない。でも慣れている。
「彼は、相手が誰であろうと、相手が重要でもそうでなくても、分けへだてなくフレンドリーに接するの」
だからあんなに人気があるのよ、と表情だけで語り肩をすくめた。
神も祝福したかのように風が上がり、波もダブル近い、完璧なコンディションに。
カウリのヒートは大会のハイライト、カウリが "BIG MOVE" するたび屋上の家族や友人、そこにいる全員が拳を天に突き上げ絶叫する。ワールドカップではないが、ローカルらしい親密さで、カウリを祝福する大会となった。
カウリが、表彰台のまんなかで深い感謝の意を告げ、日が暮れ、パーティとなり、牛と豚それぞれ数頭、鶏十数羽が捧げられた。
ブラジルらしく、女性たちが腰を振って踊り始める。PAのヴォリュームが上がり、男たちは、もっと扇情的にと奇声を発し、手を打つ。
カウリの周囲には人が絶えない。
しかしカウリはくつろがない。
今宵くらいは美酒に酔えばいいのに。
かれの眼を見れば分かる。
カウリは休むことなく、次の達成のためのプランを練っていた。