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gare_14 のコピー.jpgfoto by TAKI

カラダは消えて、意識はクリアで、
きわめてリアルな夢を観ているようで

感覚が途断された状態で、脳が「起きて」いると、脳は混乱して、勝手にいい加減な物語りを紡ぎ始めると、ある本で読んだ。
一時アメリカで流行したメディテーションカプセル──人体より比重が大きい液体を満たしたカプセルプール──に入ると、体が液面に浮いてしまうから、筋肉や関節のストレス、つまり重力から解放され、フタを閉めると真っ暗で無音、無臭だから、視覚や聴覚や、感覚のほとんどが途断され、脳へのインプットがゼロに近くなる。
いわば肉体はなくなって、意識だけの存在に近くなってしまうわけだ。
通常のわれわれは、瞬時も途切れない感覚入力を脳が逐次処理することで成り立っているから、脳は混乱して、やがて、記憶や潜在意識下にあるなにかを引き出し、インプットゼロの代償として幻覚をつくる。
分かりやすいのは夢だ。
夢は、肉体が眠って脳が起きているREM睡眠、つまり、感覚が途断された状態で、脳が無理矢理作り出す幻覚だから、あのように荒唐無稽なのだ(という節がある)

その、肉体が眠って、脳だけが起きているというのは、気持ちよくもある。
究極の健康とは、体が無くなったような状態だ。
歯が痛くなったっら、歯のことばかり気になって、歯の奴隷になってしまう。
スノーボードでも、たとえば後傾が直らず、ヒザが固く感じると、ちくしょうこのヒザ! とヒザのことばかり気になって楽しめない。けれど上達したり、なにかの拍子に滑りに集中するとヒザのことなど忘れ、そういうときはきっといい滑りをしているはずで気持ちよくもあるはずだ。
玉井太郎プロが言うところの、
「タマシイだけがボードに乗って移動しているような」
筆者自身、上達ではなく、シーズンに一度体験できるかどうかの、その感覚に出会いたいがためにゲレンデに通っているようなものだ。

なぜ、肉体が消えて、単に意識的な存在になったとき気持ちいいのか?
エンドルフィンとか、クローズドサーキットとなる一部の脳神経とかいろいろ説明できるだろうが、結局のところ分からない。

ひとつ言えることは、メディテーションカプセルや夢と、ネイチャースポーツは、「そこ」に至るアプローチが真逆であることだ。
前者は感覚を途断するが、後者は──サーファーは波のフェイスで、スノーボーダーは雪の斜面で──スピードとか遠心力とか集中された視界とかの感覚群を、日常では得られない質量で過入力することにより、そこに至ろうとする。

チャンスは、溢れている。
山釣りに行き、キャンプするとき、イワナの骨酒をつくる。普通は、焚き火で焼き枯らせたイワナを、さっと沸かせた辛口の日本酒に浸すのだが、筆者と友人の場合、イワナを上げずさらにとろ火でしばらく煮る。
酒は飴色になり、どこか蜂蜜に似たコクを得る。
一升あれば3人で足りる。
この骨酒、ある瞬間、酔わされていることに気づく。

アルコールは、消化器をシャウトしてから、酔いを脳へと回すが(そのように感じさせるが)、この骨酒は、上質のマリファナのように、消化器を経由せず、直接、軽く、いつのまにか脳を酔わせ、静かに気づかせる。
それは酒の酔いとは異質で、カラダはただぼんやりと暖かく軽く、意識はハイだけどクリアで、きわめてリアルな夢を観ているようだ。

仲のよい友人と、山で焚き火を囲んでいるからだろ、といった理由で片付けてしまいたくない。
煮ることでアルコールの一部が絶妙に飛ぶとか、イワナの成分と化学反応して、血液脳関門をパスする陶酔物質ができるとか、理由があるのかも知れない。

映画トータルリコールに
「脳は他人にいじらせるな」というセリフがあったが、他人やドラッグの助けを借りず、イワナを釣って骨酒をつくる程度のことで、初めてだったり、妙だったり、ハイだったりする「脳」と出会えるのなら、これほど安全で安上がりなことはない。
筆者にとってのネイチャースポーツや山釣りなどアウトドア一般は、そのための手段である。