……………… JR 西日本 GREAT small OUTDOOR 記事広告 1990-1994 ………………

gare_13 のコピー.jpgfoto by TAKI

マジックマッシュと
自転車で宇宙へ

男は、マウイに住むアメリカ人で、フリーランスのカメラマンである。
30代の終わりで、身長は190cm、ライオンに似ているといったら褒めすぎだが、粗づくりの魁偉な風貌、全身金色の体毛に覆われている。
酒も煙草もやらず、頭がよく、柔和でもあるが、怒ったら骨が折れることも厭わず壁でも殴りそうな気がする。なんというか、クルマやスコップのように、自分の体を扱うのだ。酷使するというのではなく、肉体は機械であると割り切っている感じ。

J、としよう。
友人ではないが、何度か仕事したことがある。
マウイには取材でもう20回ほど行った。通常は日本人のカメラマンと同行するのだが、たとえば現地でJ を雇い、一緒にモデルをオーディションして、広告写真を撮影したりする。
カメラマン一人分の航空運賃が浮くし、マウイのロケーションに詳しくもある。
前回は、ハレアカラクレーターで、40ページのカタログと広告のため、ローカルの若い男女モデル4名を雇ってウエットスーツを撮った。
(右上にそれら写真のうち一点を)

ハレアカラは富士山より200m高く、麓には牧場、中腹にユーカリの原生林を擁し、雲の上まで登ると森林限界を越えた鉱物界だが、地球でここにしか自生しない、メタリックなシルバースォード(銀剣草)が点在する。
リムから最大800メートルの深さがある50平方キロのクレイターは、有名な話しではあるけれど、アポロ11号乗務員たちの、月面探査訓練の場として選ばれた「宇宙」だ。
そこは、噴火によってクレイターができて以来、トレイル以外は人の手が入っていないのである。
リムから見下ろすクレイターは、アースカラーの色見本帳のようで、キャメル、パープル、メタリックエボニー、
それらのあいだに無数のグラデーションを配し、太陽の位置によって刻々変化する。
空気がひどく澄んでいるため遠くまでくっきり見え、かえって距離がつかめない。
トレッキングロードを下ると、ガラスの塊を砕いたような鋭いエッジの岩壁とか、宇宙線で侵食されたような金属的な奇岩とか、いちいち圧倒され、伊勢の夫婦岩の比ではない。

J とわしらスタッフはクレイターでの撮影を終え、荷役用の「レンタル馬」代金500ドルを惜しんだ代償として、重い撮影機材と商品群を担ぎ、リムへと続くトレイルを登っていた。
標高4000メートル。
夜は零下になるが、日中はガスやチリで減衰しない太陽光が石の砂漠を焼いて40度近くなり、空は青を通り越して白く見え、紫外線に灼かれ、乾いた汗が塩になり、休むと二度と歩けなくなりそうだ。
J の足どりはしかし軽い。

J がぼそぼそと、彼の、ハレアカラでの「あうとどあ活動」について語る。
熱中症寸前だったから、あまりよく覚えていないのだけれど……。

ハレアカラの麓にあるハイクの自宅から、テントとシュラフをパックに詰め、ハレアカラハイウェイを、MTB でリムまで登る。
標高差3千数百メートルのヒルクライムである。
以前、トライアスリーツやプロウインドサーファーらによってバイクでのハレアカラリムまでのヒルクライム大会があったが、完走者はわずかだった。

食料は、リムでの一食分しか持たない。
正確には、どこで入手するのか、マジックマッシュと数リットルの水は。
ひとりクレイターという異界に下り、もっとも宇宙的なロケーションを選んでテントを張る。
水があることを確認し、マジックマッシュを食して「あちらがわ」へと逝く。
食欲は湧かず、それどころじゃなくて幻覚で忙しく、でも水は飲まないとやばいので、わりとこちらがわに戻った合間に水を飲んだり着替えたりし、たったひとりで寒暖差40度の宇宙で過ごす。
haleakala.pdffoto by "J"+ words by toko
@Haleakala Rim 1987
それでなくてもロケーションがエキセントリックだから、目の前の岩が突然オフクロになって説教されたり、月が真夏の太陽みたいに膨張して頭上に墜ちてきたり、命がけではあるけれど、
「あんなに安くついて面白いことはない」らしい。
人生は脳が観る映画みたいなものだから、トリプルエックスのそれを観るに如くはないという態度だ。

突然、ときにはゆっくりと「こちらがわ」に戻る。
時計は持たないが、2日3日は経っていて、ひどく空腹で疲労困憊しているが、脳は妙に冴え冴えして気持ちいいらしい。一種の断食健康法か(?)
リムまで登り、MTB で宇宙から下界まで一気に下る。
握力が続かないこともあって、あまりブレーキは使わない。
月明かりの夜、ブラインドコーナーを抜けると放牧の牛がおり正面衝突、牛の背を越えて前方に飛んだ。
頭を強打すると前後の記憶が失われる。
気づくとJ は自宅のベッドにいて、頭髪が血で固まっていた。

人生の目的は、極言すると、スポーツや恋やセックスや出産やキノコによって──病気もその範疇と思うが──それまで体験したことのない肉体的感覚や情緒に出会うことではないか。
J はエキセントリック、ではなく、ただ上の意味で貪欲なだけ、なのだろう。
でもそういう男はあまりいない。
東京では、おしゃれやブームで、MTB がクルマのルーフに積まれている。
排気ガスで汚れているのが哀しい。