……………… JR 西日本 GREAT small OUTDOOR 記事広告 1990-1994 ………………

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アウトドアが楽しいのは、そこで遊ぶことが
「割りのいい取引」だからである

ボヘアヌードとかアウトドアとか、はやりになって、雑誌やTV で氾濫するようになると、わしはそういう言葉の使用を中止する。
それでなくても世の中にはステレオタイプが溢れ、「凡庸さ」がいちばん偉そうな顔をしていて疲れるのに。
神田や池袋の、昔からある登山用品店に行くとたまに失礼な店員がいる。
おれは20年前から山をやってるのに、最近のアウトドアブームに躍らされたシロウトにゃ疲れるぜ、と思っているのだろう。
商品について尋ねると、ひとつタメ患をついてから「ま、それはお客さんが何をやりたいかによりますがね」と小パカにしたような目でわしを見やがる。「ちょっと、店、出よか」と殴り倒してやろうかと思うが、ま、気持ちは分かる。

わしは山釣りをやり、今シーズンは頚城山塊や奥飛騨に釣行し、4 尾の尺上 (30cm 以上の) イワナを上げたが、雑誌とかで紹介された渓流に行くと、必ずステレオタイプなフライフィッシャ──このまえ4駆を買ってえ、アウトドアの時代だからぁ、ピーパル読んでたらぁ、「いま、フライフィッシングが面白い」と書いてあったもんでぇ、みたいなやつ──がいて、そういうやつは決まってジーンズの上に股下までのウェイダーを履いているのだが、
「けっこうライズしますねえ」と自慢げにピクを開ける。仕方なく覗いてやると15cmくらいの木っ葉イワナが4 尾ほど入っている。
わしは一応へえと感心してやるが、そいつを小馬鹿にしきっていて、たまに意地悪く、わしはこれだけでしたわ、と尺上のイワナを見せてやる。
「25cm 以下のはリリースするもんやから」
そいつは驚きと屈辱を隠そうと醜い表情になり、
「餌ですかあ?」と聞きやがる。
(餌釣りよりフライのほうが難しく高尚とされているので、そいつにとってはプライドを保とうとする手段なのだ)。
わしはたとえ餌で釣っていても
「うんにゃ、テンカラですわ」と言ってやる。
テンカラとは日本古来の毛パリ釣法で、フライよりも通、とされているのだ。
「どこで上げたんですかぁ」とそいつはしつこく食い下がるが、そういうシロートに歩かれてポイントを荒らされたくないし、どうせお前にゃ釣れんわと言いたい衝動を抑えるのがシンドイので
「ま、このへんですわ」と、いい加減なことを言ってその場を去る。

ま、そういうふうに屈折、というか正直なわしの戯れ言として読んで欲しいが、クジラやイルカやサンゴをやたら尊敬するのも分からない。
サメやタコやワカメは尊敬しなくてもいいのだろうか?
自然派作家みたいな人が、
「自然は最高ですねえ、守ってゆかなくっちゃねえ」と英語詑りの日本語や東北詑りの日本語で訴えている。一応は作家であろうにそういう具体性皆無の書生的ステレオタイプで済ませていいのであろうか?

本誌シニアフォトグラファーの滝口保はわしと同様長所より短所が目立つ男だが、たとえばふたりでキャンプに行き (実際に行った。そういう時代もあった)、炭焼きパーベキューをやり、わしが旨いなあ旨いなあ、なんでやろなあ、と必要以上に感心したとしても絶対に「空気がうまいからだよ」などと言わない。
「炭から出た成分がとりついて、肉汁を逃さないからではないか」などといい加減なことを言う。
それが事実であるか否かは大した問題ではない。
大切なことは、ステレオタイプに陥った安直な言葉(=思考)を使わず、具体的であり・独創的であり・正直な言葉を使用することだとわしは思う。
わしが読んだネイチャ一関係の本のなかで、もっとも「具体的であり・独創的であり・正直で」あったものは、「バイオシェルター(工作舎)と、「朝日連峰の狩人(山と渓谷社)である。
前者は、「エコロジカル・デザインの実験的研究機関、ニューアルケミー研究所」の創立者・トッド夫妻の「人間と生物が共生するためのコミュニテイ創造に向けての研究と実験のレポート。
詳しく紹介する紙幅はないが、太陽光以外は外界と遮断された人工生態系「バイオスフィア2」もかれらの仕事であり、人問、つまり経済と自然とが共存してゆく具体的方法を模索している。
後者は、山形県朝日連峰のマタギの話で、
「ウサギは500 円にしかならないから獲らない」
とか
「熊を撃ったとき、斜面をずるずる落ちてきたときはいいが、ころころ落ちてきたときは近づかない、致命傷を与えたときは四肢が伸び、だからずるずる落ちてくる、そうでなければ熊は人間と同じく傷口を抑えるので丸くなり、ニろころ落ちてくる」
などといちいち具体的で観念的な部分がー切なく、よく言われることだが、マタギは野生動物を殺して生活しているだけに、獲り過ぎないとか、結果的に「正直な」自然保護者であるということがよく分かる。

山釣りや野宿や飯盆炊さんはたしかに楽しいが、それは極論すると、自然はひどくコストがかかったものなので──200万もあれば自然渓流を壊し埋めることはできるが、2兆円かけても再生できない── そこで遊ぶことが「割りのいい取引」だからである。
800円の日釣り券を買うだけで、北アルプスが2万年かけてつくった双六谷というスーパーネイチャーを、運が良ければ独占し、半野生のイワナを獲ることができるのだ。

この連載は、「いま、アウトドアかオモシロい」
らしいので、本誌なりの意見を提出するために始められた。
GsO 大阪店・中原まさのぷ氏のセレク卜によるアウトドア用品を、滝口保氏の写真により併せて紹介する。第1 回は(一目瞭然だが)ストープである。