……………… 飯島夏樹レジェンダリー  2008 ………………

かれは あるいみ そのいのちをかけて
「夏樹」を演じきった。


■夏樹に、90年から94年にかけて──PBAワールドツアーをフルカバーした、選手としての全盛期──本誌に、「生活誌」と題した日記を連載してもらったことがある。
200kgを越える道具を引きずり、空港職員相手にオーバーチャージの額について戦い(死活問題だ)、世界の果ての空港に降りたち、いちばんやすいレンタカーをさがし、物量、キャリアにおいてはるかに劣るビヨンやアンダースたちにあらがう……。
そんな日々を綴った夏樹のことばはひりひりして、エピソードに満ちていた。
そこに、夏樹が、なんども書いたフレーズがある。
「きょうは充実した、いい一日だった」

夏樹はその人生を充実させようとした。
だれでも多少はそうである。
けれどもその設定の桁が違った。
プロとしてのキャリアはゼロに近いのに、マウイに移住し、いきなりワールドツアーをフルカバーした。
日記にはこうも書いた。
「雨の日が好きだ」
夏樹はほんらい戦いのひとではなかった。
ウインドサーフィンを心底愛したが、それを戦いの具とすることには最後まで馴染めなかった。
現役時代はずっと不眠に悩まされ、成績や評価を気に病むあまり、神経症になり、相手の目を見て話すことができなくなった。
にもかかわらず──であったから、というべきか──夏樹は快活でポジティブなワールドカッパーを演じ続けた。
それは選手としてだけではなかった。父としても、事業家としも。
──「雨の日が好きだ」
朝起きて、雨で、風もなかったらほっとする。
練習を休んでも罪悪を感じなくてすむ。
その日は頑張らなくていい。
窓を伝う雨滴をながめながら、のんびり本を読んでいると、こころからやすらぐ……。
自然な夏樹は、社交的でも、そう積極的でもなく、ひとり静かに読書したり、内省しながら文を書くのが好きな、そんなひとだった。

病は、自然な自分を強く抑圧しつづけた結果生じる心身の歪みである。
調和をとりもどすための気づきを促すという意味では、災厄ではなく、贈り物といっていい。
そして夏樹には、その「強さ」に応じた、超弩級の病があたえられた。
治癒とは、自然治癒力によって、病が癒されることだが、それは狭義。
広義の治癒とは、自身や、宇宙とのさらなる調和の獲得、いわば霊性の向上である。
そして後者の場合、目的のために、病の軽快は与えられないこともある。

夏樹との、最後の面会は、2004年7月、入院していた国立がんセンターだった。
手もとに、かれの「声」が残っている。
「──ウインドサーフィンをしていると、風には逆らえないって分かるじゃないですか。
選手だったとき、野心をたぎらせて、何十万も遣ってギリシャの離島くんだりまで遠征に行くわけですよ。でも風が吹かないと、何も出来ない、諦めるしかないんです。エゴは通用しない。吹くか吹かないかは、運命は、自然に委ねるしかないわけですよ……」

夏樹はくりかえし、神に、じぶんに問いかけた。
──じぶんにはなぜ、36の若さで、この病が与えられたのか? 
そしてなぜ、いまもなお生かされているのか? 
きっと、なにか、意味があるはずだ。

夏樹が、そのクライマックスにむけ、どう「生きた」かは、ここでもう繰り返さないが、かれは真に癒されたのだと思う。
その「強さ」によって。