……………… 飯島夏樹レジェンダリー  2005 ………………

00105_RJ_R.jpgfoto by KazTanabe 2004
his story 03                  

「最後の瞬間まで生き抜いた」男が
えがいた、ふたつの夢


■飯島夏樹は、2月28日、天国に逝った。享年38。かれはその、最後の瞬間まで生きた。
「死んでゆく人じゃない。最後まで生きる人ですね」。というのは、ある友人の言葉である。飯島夏樹は、どう生きたのか。

かれは、プロウインドサーファーだった。
ワールドカップのトップシード権を得ていた、日本でただ一人の。
サーファーもそうであろうが、ウインドサーファーも、趣味で始め、好きが高じてプロになる。それがパターンだが、飯島は違った。
一流のスポーツ選手になること。それが少年・飯島夏樹が描いた生涯最初の夢だった。水泳でそれを目指すが高校時代に腰を痛めて挫折。今からでも間に合うスポーツはないか、と真剣に考え、ウインドサーフィンを選び、「将来」のために、沖縄、琉球大学に進んだ。
台風の日も、全くの無風の日も海に出た。
87年、20歳のとき、ゴージプロアマという当時世界最高水準のレースの、アマクラス・ファイナルに進出。全く無名だった飯島は、デビューと同時にスターになる。ウインドのプロとしては例がなかったが、成功するための一助として、マネージメント事務所と契約もした。後輩に中田英寿や北島康介がいる。
私は全盛期の飯島をよく取材した。
当時のかれは自然体ではなかった。トップアスリートになる(である)ためにはかくあるべきと、自分を厳しく躾けている印象が強く、痛々しいくらいに真剣だった。もうすこし肩のちからを抜けば、と思わないでもなかったが、結果を残してるので認めざるを得ない。
引退と前後して、グアム・ココス島に、ミクロネシア最大のマリンスポーツセンターを興し、あっという間に軌道に載せる。ビーチフロントに700坪の邸宅を買い、庭の前の優しいリーフブレイクで娘に波乗りを教えた。
飯島は「海とともにある成功」を、20代で手に入れた。
しかし。──02年、肝臓にソフトボール大の悪性腫瘍が見つかり、それは再発、悪化の一途を辿る。肝移植という、最後の希望のため、ココスの邸宅を売り、ビジネスを人手に委ね、日本に帰った。が、セカンドオピニオンを求めた国立がんセンター中央病院で、肝移植が有効な種類のガンではないという診断が下される。つまり、医学的に快復の可能性は無い。かれはすべてを失った。ビジネス、海に出るちから、時間、そして希望。
家族──美しい妻とまだ幼い4人の子供たち──は失っていないが、それとて自らの今後を考えればある意味ネガティブな存在である。
絶望から、飯島は重度のうつ病とパニック障害を併発。04年6月、主治医から余命半年の宣告を受ける。本当は、余命3ヶ月だった。かれの妻が、希望をつなぐための、最後の嘘をついたのだった。その時点で、医学的には明日召されても不思議ではなかった。
………。
それが、かれの生涯ふたつ目の夢であったのかどうかは知らない。むかし、かれがつぶやくのを聞いたことがある。「ものを書いて生活できればと思うことがある。夢だけど」
突如、もうれつな勢いで、飯島は処女小説を書き始めた。かれは希望を見つけた。自ら創った希望だ。絶望から小説執筆に至る心的旅路を筆者は知らない。それは本人にとっても謎、であったかも知れない。
「ふたつ目の夢」は、飯島にとって、それ以上のモチベーションを伴ったものだった。第一に、残してゆく家族たちに、真の意味での「遺言」を残すこと。
harry_181***.jpgfoto by HARRY 1996第二に、印税を残すこと。飯島のデビュー作「天国で君に逢えたら」は、昨年8月に出版され、3月10日時点で22刷、20万部に達している。
人生最後の場所として、波と風があるオアフを選び、ペインコントロールと輸血だけを受けながら、余命宣告が言う最後の日を188日越えて生き抜いた。コンドの窓からサウスの波を眺めつつ、毎日、死の9日前までエッセイを書き続け、ウェブ上で連載した。
(このエッセイをまとめたものが、「ガンに生かされて」と題され、「天国で──」と同じく新潮社より3月22日に発売されるが、初版7万部のところ、出版前に増刷がかかり、実に10万部が刷られるという)
そんな飯島の「最後の瞬間まで生き抜いた」ドキュメンタリーは、フジTV系で3度に渡って放映され(3度目の放映は3月13日だが)、多くの視聴者の、哀しみの、勇気の涙を誘い、没後しばらく、かれのブログはアクセスが集中して接続不能に陥った。
残された奥様と4人の子供たち。末っ子の多蒔(たまき)くんはまだ3つに過ぎない。彼らの「生活」はこれからだ。
しかし、飯島夏樹というパパを持ったという誇りは、彼らに、小さくはないちからをもたらすことだろう。
飯島夏樹は、その生涯に、少なくともふたつの夢を実現した。それは、ご家族と、わたしたち一千万人に、勇気をもたらした。
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