……………… 2011 JAPAN, WINDSURFINGを、変えようと動く、3人の起業家 ………………

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2011, JAPAN
その経済・政治同様、停滞している
WINDSURFING
を、変えようと動く、3人の起業家
RENAISSANCE
photos by TAKI
scrennplay by words-by-toko.com



「日本はウインドサーフィン後進国」
ヨーロッパに較べると、わが国のウインド
サーフィンは、競技人口、社会的認知度など
ステイタスにおいて、大きく劣っている。
しかし悲観にはあたらない。熱中層に、優秀、
かつココロザシを持った職業人が多いのだ。
たとえば、かれら、3名の起業家。
モノやサービスを売るエキスパートである。
ウインドサーフィンのために、動きはじめた。
Kenji Nozawa
野澤賢之さん (39)
■医療法人副理事長・歯科医師

Izumi Uozumi
魚住和泉さん(43)
■株式会社アイエス・トレーディング代表取締役

Toshihiro Ono
小野敏廣さん(60)
■株式会社マイルストン代表

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ウインドサーフィンがブレイクしない
最大の理由は、一般層に、その凄さが知られて
いない、伝わっていないことにあります。
トロピタイルカップは要するに、それを
強引に知らしめる手段なんです

Kenji Nozawa
野澤賢之さん (39)
■71年生まれ。東京医科歯科大卒。04年医療
法人設立。WSF歴12年。10年5月、トロピタ
イル有限責任事業組合設立。第一回トロピタイ
ル杯開催、WSFポータルサイト開設など、11
年より本格的にWSF普及活動開始




■会話を開くとき、専門家が相手であれば世間話は必要ない。専門的なことを聞けばいい。きっと、具体的で、知らなかった答えが返ってくる。
歯医者さんって競争が激しいって聞きますが、ホントですか、どれくらい?──
「正確に言いますとね」
と、氏は整理された話し方で。
「抜きつ抜かれつの競争というより、人気のある医院は患者であふれ、そうでない医院はがらがら、極端なんです」
繁盛してるからって安心はできません。医師は激務を強いられます。ストレスや過労に悩まされますが、休むわけにはゆきません。1週間休むと、患者さんが離れてゆきます。2週間休むと致命的です。患者さんは気が長くないし、選択肢もたくさんあるからです。
だから無理して体を壊し、廃業する歯科医も少なくないんですよ……。

野澤医師も同様の危機に陥った。
東京医科歯科大学の歯学部から大学院に進むも、大学院は中退して勤務医になった。
開業するつもりだったが、2004年、大学の同級生に誘われ、医療法人設立。その2院目の院長になった。
激務を強いられた。
週7日勤務。休めるのは祝日だけ。GWの次は7月下旬の海の日、75日も休めないこともあった。
右腕が上がらなくなった。
歯科医は手技も重要なので深刻な問題だった。
医学的な原因がはっきりせず、鍼灸やぶら下がり健康器などいろいろ試したが軽快しなかった。ある日気づいた。
「海から帰ると軽くなる」
ウインドサーフィンは、この時期に先立つ数年前、1999年、大学院生だったときに、逗子で始めていた。
野球をやっていたが、ウインドは、逗子フェザーファクトリーの辻井イントラのナビゲーションもあって、(野球の)スパルタ、成果主義的脅迫みたいなものとは対極で、目が洗われた。
しかし、歯科医として歩き出し、医療法人を軌道に載せるための激務で、海にはなかなかゆけなかった。
心身の不調を癒され、氏は改めてウインドサーフィンと出会ったのである。
休日を捻出し、逗子に通うようになった。

もとより、医療法人設立の目的は、そういう時間を得ることだった。
歯科医として臨床に追われ、私生活を犠牲にして、ぼろぼろになって引退することが本意ではない。
家族との時間を持て、自ら愛し、他者を幸福にしうること──ウインドサーフィンの普及──に充てられる時間と経済的余裕を得る。

医療法人は、設立6年で、東京、川崎、横浜に8医院を開き、常勤の歯科医30名、非常勤のスタッフを含めると100名弱を擁するに至った。異例の成功といっていい。

氏は現在、週に4日、診療に当たっている。経営の仕事はあるが、週に3日、「ココロザシ」のために動ける。
2010年5月、トロピタイル有限責任事業組合設立。事業趣意は、WSFとともにあるライフスタイルの提案、PWAワールドカップの日本誘致、主催、WSFの普及、業界、地域繁栄に貢献。
現在、具体的に進めているのは、1)、非・ウインドサーファーにアピールする大会の定期開催。2)、ウインドサーフィン・ポータルサイトの製作。それら詳細は以下。

1) トロピタイルカップ 2011 "Road to World Cup Japan"
オフィシャルサイト(http://tropityle.jp/)に詳しいが、ワールドカップ誘致を延長線上に置くこの大会は、従来のそれらとまったく異なっている。
2011年1月15日から2月6日までウエイティングし「大西」を待つ。ウェイブでもフリスタでもスラロームでもなく、道具もパフォーマンスも何でもいい。
ジャッジは、原則的にウインドサーフィンの専門家を除き、一般から広く公募する。
謹厳実直な地方公務員とか、渋谷のギャルとか、鮮魚店のおっちゃんとか、老若男女、様々な人々を沢山集め、ワザの難易度ではなく、どちらの方が、誰が、単純にスゴい、カッコいいと感じたか、"TVチャンピオン" 方式で投票してもらう。ウインドサーフィンがブレイクしない最大の理由は、一般層に、その凄さが知られていない、伝わっていないことにある。要するに、それを強引に知らしめるということだ。
優勝賞金50万。
JPWAの協力、トッププロ多数の参加内諾も
得ている。

2) Windsurfing Portal Site
(http://tropityle.jp/)
選手のブログ、協会やショップのサイトなどはたくさんあるが、ウインドサーフィンのポータルサイト──といえるコンテンツの質量を有したそれ──は無い。
ウインドサーフィン普及には必須なものだから、無ければ作る。
具体的には、海象情報、ライブカメラ、ライブアップデートなスクール、イベント等情報、ソーシャルネットワーク、アカデミー(セイリング技術、メンタルマネージメント等々。実用的な情報のみならず、学術的なものも)etc
現在、ライブカメラ設置、取材や交渉、サイト製作を並行して進めており、正月明けにサイトオープン、随時コンテンツを増やしてゆく予定だ。

氏がひとりで負担するわけではないが、当然、かなりのイニシャルコストがかかる。
1000万円を上限として、その後は情報サービス等による少額課金、スポンサーの獲得などにより、回収、製作運営費をまかなえる仕組みをつくりたいと思っている。
勝算はあるのか?

「ゴルフを考えてください」
と氏は答えた。
ウインドと同じようにクルマが必要で、ゲレンデへの道は渋滞、クラブやグリーンフィーなどウインドサーフィンに劣らず金が掛かる。大雨や雪だとプレイできない……。
それでもあんなに人気があり、優勝賞金3000万の大会もある。
だからウインドサーフィンは、少なくともゴルフ程度にまではメジャーになりうる、しうると思うんです。
「ウインドサーフィンは、ゴルフに劣ってますか?」
激しい競争のなか、同志と設立した医療法人を短期間で軌道に載せた経験、ノウハウがある。
このプロジェクトにも、辻井元、岩崎真を始めたくさんの協力者、同志がいる。

奥様もウインドサーファーで、逗子で出会った。まだ幼い娘さんが3人。
「まだずっと先の話ですが、彼女たちがお母さんになり、孫ができたら聞かれるかも知れないじゃにですか。
ジージは何してたひと?、って。
そのとき、歯医者さん、ではなく、ウインドサーフィンをこんなに大きくしたんだよ、と答えたいんですよ」

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鶏が先か卵が先か論なんだけど、
要するに、ウインドサーファーの母数が
増えないと状況は変わらない。ならば
できることからやろうと。まずはレース
カテゴリーの、縦割りを取っ払って、
フルオープンレースやっちゃおうと

Izumi Uozumi
魚住和泉さん(43)
■67年生まれ。93年、ブランド品等の輸入販売を始める。現在の、そのネットでの売り上げ、効率は業界トップクラス。
WSF歴3年。昨年三浦での第一回ドリームカップを、プロデューサー、スポンサーとして成功に導く




■渋谷区神泉、山手通り沿いのオフィス。応接室には楽天・三木谷社長の感謝状が数額、掲げられていた。
魚住氏が創業した株式会社アイエス・トレーディングは、ブランド品、アパレルなどのオンライン販売を主としており、その売り上げ、成長ぶりで注目されている。
今年度のヒットは、女子に人気のムートンブーツ。16万足(!)、来年度は32万足売る予定。

楽天市場のトップページ、左サイド「ジャンル一覧」、その「ファッション」カテゴリーで、
魚住氏の楽天の店は、2007、08、09、3年連続で売り上げトップを記録。
全ジャンルでも──総店舗数約12万──9位。上位8店は、一部上場など全て大手である。
氏の会社は社員10名。しかし月に4億以上を売り上げる。
並行輸入を始め、B to Bの卸として起業したのが93年。eコマースに軸足を移したのが02年。もちろん多少の躓きもあったが、現在も事業は右肩上がりで拡大中である。

ウインドサーフィンを始めたのは3年前。
134号線をドライブしていた。セイルを立てて浮いてるだけのビギナーの向こうに、セイルをアフターレイキさせて高速滑走しているウインドサーファーがいた。異常だと感じた。なぜあんなスピードで走れるのだ?
ネットを巡り、ティアーズに辿り着き、スクールを予約、2007年7月のことだった。
以後、土日のどちらかは三浦。
少なくとも年に50日は海に出、セイル数枚、ボード1枚は買う。ずっとスキーを続けていて、準指導員でもあるが、冬も海に行く日が増えた。
海に行けた翌週と、行けなかった翌週では、心身の軽さが明らかに違った。
ビジネスマンの視線で見るとしかし、こうも感じた。
「皆なよく続けられるものだな」

高価な道具が複数必要で、壊れもする。学連のTECHNOレーサーが、リペアする金が無くて、破れたセイル、ウエットで乗っている。
彼らのほとんどが、社会人になると海に出なくなる。4年間、本格的にレースに打ち込んだ彼らだから、その10%がウインドサーフィン
を続けるだけでも、状況は変わるだろう。
しかし、卒業早々、新しいボードとセイル2枚買うのはとても無理だろう。

2010年2月、葉山の活魚料理店で、ティアーズの国枝プロと話した。
プロの大会でも優勝賞金10万、それじゃあ遠征費にしかならないじゃんといった、現状を聞いた上で、どうすれば変えられるか話し合った。
▶要するに、ウインドサーファーの母数を増やさないと、何も好転しない。
▶ウインドサーフィンの魅力を一般層に伝える努力が充分ではない。
▶その大きな原因が、ウインドサーファーたちに横のつながりが無く、力が分散していることにある。
▶たとえばレーシングの各カテゴリーは、意外に盛り上がっている。しかしそれぞれの世界で閉じており、縦割りで、横のつながりがない。
▶プロ協(JPWA)、TECHNO、フォーミュラ、レースボード、RS:X、学連、実連、国体……。
同じゲレンデで何年もトレーニングし、顔見知りで、一緒に走ってみたいと思っているのに、カテゴリーが違うため、一度も同じスタートラインについたことがない……。
▶ならば強制的に出会わせ、まずはレーサー間ネットワークを作ることが、ウインドサーフィンを変える一歩ではないか。
何事も、動かし始めねば動かない。
全国から、レーサー200名を集めることを目標に、第一回ドリームカップを企画。
弊誌既報のとおり、昨年7月、三浦で開催された。
アップウインドレースで、フルオープン(市販艇なら全て可・74名参加)とTECHNO 293(72名参加)の2クラスとした。
フルオープンクラス優勝は富澤慎(北京五輪RS:Xクラス10位)
富澤のブームトゥブーム・クイックタックに国枝プロが啓発されたように、多数の「出会い」「化学変化」がもたらされた。

魚住氏はスポンサーとして、私費数百万を提供した。会社の広告宣伝費として計上するのは、効果が望めず無理があった。
「とりあえず動かさなければ始まらないのなら、僕に出来ることはやろう。国枝くんの熱さにも圧されたし(笑)」

ずっと心配だったという。
「いろいろ準備して、オフィシャルTシャツなども作って、でも、そうか吹かなかったらレースはできないんだと改めて思ったり、十数メートル吹き上がったら危険だなと気を揉んだり、いざレースが始まると、どうか事故無く無事にと祈るような気持ちで…」

今年7月、第2回ドリームカップ開催予定だ。
けれど昨年のようなかたちで資金提供するつもりはないという。
「そうすれば開催はできるでしょうけど、進歩じゃないと思うのです。自立につながる、何らかの方法で協力します」

第一回大会は、賞金220万、賞品80万を目標にしたのだが、国枝プロらの努力もあって、賞品は目標をはるかに越え、ボード、液晶テレビ、iPODなど総額300万相当に達した。
ウインドサーフィンのポテンシャルを理解、期待したメーカーや地元が、熱意を共有してくれた。
今年も、横須賀市や実業団レーサーなど各方面からエールが届いている。
巨岩はすでに、動き始めた。

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皆な同じ方向を見ているんです。
そして皆さん何か持ってらっしゃる。
人脈、アイデア、財力……でも
結集していません。
結集すればすごいことになるでしょう。

Toshihiro Ono
小野敏廣さん(60)
■50年生まれ。74年(株)リクルート入社。97年、(株)マイルストン創業。WSF歴30年。NPO日本風波アソシエーションの設立と活動、JPWA設立に尽力するなど、WSFの普及と未来ため汗をかき続けている。



■「ウインドサーフィンしている、海に出ている自分は、なんというか “on balance” なんだよ。生活や心身のバランスが取れてる。
実はこの24年、ウインドサーフィンをしない、海にゆく気がしなかった時期が何度かあったんだよ。いま考えると、そういう時期は、仕事とか個人的に、なんらかの問題を抱えていた。だから逆説的に、ずっと海に出続けていられる自分を維持しなきゃって思うんだよ」

2004年、弊誌、中里尚雄対談 "SOUL SESSION" なる連載にご登場いただいたおりの、小野氏の言葉である。
そしていまもかれはいう。

「ウインドサーフィンから、いっぱい、もらったんですよ、だから恩返ししないと」

73年、(株)リクルート入社。
リクルートは当時、東大在学中に同社を興し、時代の寵児と評された江副浩正のもと急成長していた。
80年、輸入され始めたウインドサーファー艇を、丸井で扱っていた義弟に誘われ、セイリングを始めた。
当時リクルートは新橋にあり、仕事の前や後にしばしば台場で乗った。若かった(笑)。
当時の台場は開発前で、フジテレビも湾岸高速もなく、丈の高い雑草の空き地が広がり、南、南西の風が良く入った。
海に落ちるとヒザまでヘドロに埋まり、重油でデッキのノンスリが利かなくなったけれど。

スタッフ畑を歩き、江副浩正の秘書になった。
そのような人物の秘書になり、機密を共有することが許される。つまり小野氏はトップ候補のひとりであったのだろう。
江副氏のような人物はエキセントリックで、有能さの次元が違う(のであろうきっと)。
台風のそばにいるようなものだからずぶ濡れにもなってしまう。
そして昭和の終わりを揺らせた、あのリクルート事件。
小野氏にも当然嫌疑が及び、88年7月、東京地検特捜部の取り調べが始まり、翌2月逮捕され、東京拘置所に3ケ月収監された。
海に行けない10ケ月が続いた。
ふくらはぎや腿の筋肉が落ちて脚が萎えた。

リクルートには戻れないだろう。
ビジネスマンとしては終わりだろう……滅入ると、頭の半球がちりちりと痛み、壊れてしまうのではないかとパニック寸前に陥ることもあった。
そんなとき、強引に、快晴の、5月の、12mの順風でプレーニングしている自分を想像すると、こころがすこし軽くなるのだった。

拘置所を出て、リクルートに戻れたのはよかったが、仕事はなかった。社も扱いあぐねていたのだろう。
同僚たちは、腫れ物を扱うように、ではなく、皮肉でもなく、「何もしなくていいから」と真顔でいった。
開き直った。会社をフケて海に行った。金沢の海の公園で、ウォータースタートもジャイブもできるようになった。
チョップの頭を蹴り飛ばす心地よい振動を足裏に感じながらプレーニングしていると、腹の底から歓喜の雄叫びが沸き上がった。まるで、大政奉還を成し遂げた坂本龍馬のように。

小野氏はウインドサーフィンに救われた。
換言すれば、ある種の自由を得たのだった。

リクルートに出資させ、スノーボードとウインドサーフィンの道具を輸入する会社を設立。
(ウインドサーフィンと仕事を混ぜた)
STARBOARDやHOT SAILを日本で初めて扱った。
「画期的なボードを作ったよ」とスベイン・ラスムッセンに請われ、あの "GO" ボードを輸入。日本にフォーミュラを普及させた黒幕は小野氏である。
97年、現在の、キャラクター系フィギュアなどを扱う(株)マイルストンを興す。
事業と並行して、NPO日本風波アソシエーションを設立。
ウインドサーフィンの普及を目的とし、ポケモン・キッズウインドサーフィンスクールなど数々のスクールやプロモーションを開催し、JPWA設立に尽力。
風波Aの目的、活動はJPWAと重複するため、風波Aを解散、現在もJPWA副会長として活動継続中である。

記者は小野氏に、すこし意地悪な質問をしてみた。
──84年から93年まで、10年間、御前崎で、世界最大規模のサムタイムワールドカップが開催されました。一回の予算は3億と聞いています。
07年には、飯島夏樹の映画「LIFE 天国で君に逢えたら」が公開されました。桑田佳祐が曲を作り、14億だかの興収を上げ、100万余が観たと聞きます。
でも結局、なにも起こってないじゃないですか?

氏は否定した。
「夏樹の映画が公開された夏、Googleの検索ワードランキングで、飯島夏樹、は1位、2位だった。届いてはいるんだよ、でも単発じゃダメってことじゃないかな、たたみかけないと、分かりやすくないと」
「こないだも、森(秀一)君の紹介とかで、週刊女性に、MOTOKOの記事が載ったんですよ、6ページか8ページくらいで、お母さんの世界チャンピオンって。良いフィーチャーだよね」
小野氏のトークは止まらなくなった。

僕の役目はパズルを解くことだと思ってるんです。企業は理屈がないと金を出さない。最近は理屈があっても出す金がない。Jリーグですら企業が撤退して、市民からドネーションを募ってる。でも、 "解" はあるはずだ。
たとえば東電が海上風力発電所を作るとしたら、そのプロモーションとウインドサーフィンは接点があるでしょう。
大した人脈、経験じゃないかも知れないけれど、僕なりに「接点」を見つけ、ウインドサーフィンと実業界をつなげられればと。
たとえば、’ウインドサーフィンのキーワードのひとつにアンチエイジングがあると思うんです。先日も、石原君(智央プロ)連れて、あるサプリメントの会社に、協賛のお願いに行ったんですよ、不調でしたが(笑)

じつは40代、50代が有望な潜在層なんですよ。子供や若者は入試とか就職とかで、なかなか続けられない。
その点、40代50代は、子育てが一段落して、不況でヒマがあって(笑)、財布の紐は固いけど、経済的余裕もありますし。
この夏も、海の公園でシニアスクールイベントやりましたが、みんな、若者のようにはしゃいで、すぐに乗れちゃうんですね。
お父さんなんか、陽に焼けてカラダが締まって、おしゃれな服、探すようになったりして(笑)、僕自身、本格的に始めたのは40歳でしたし、50で始めても、ウインドサーフィン、20年間はできますから。

実感するのは、皆な同じ方向を見ているということです。ウインドサーフィンをもっと大きくしたい、良くしたいと思っている。
そして皆さん何か持ってらっしゃる。人脈、アイデア、財力……でも結集していません。結集すればすごいことになるでしょう。
あなたの力を貸してください。
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