……………… very short non-fiction 1991 ………………

SWEET MEMORIES

1983年9月 須磨海岸


台風が過ぎた。
たっぷり水気を含んだ古い綿のような雲が割れ、陽が海を射した。
一瞬風が止み、しばし澱み、やがて勢いよく、三陸沖に去った低気圧の芯へと吹き込んだ。
光束が雲を裂いて寸断し、千切れた雲が北東に飛び、風はさらに勢いを増して昨夜までの雨をじっとり吸い込んだ砂浜をどんどん乾かしてゆく。
砂はキャメルからベージュになり、やがて浮いて飛ぶ。皮膚が乾くときと似た匂いがする。
アパートから海岸線までは100歩もない。
昭和58年9月の朝。
アパートは臨海鉄道と砂浜のあいだに建っている。
鉄道とアパートのあいだは原付しか走れない路地だけ。
アパートと海のあいだには砂浜しかない。
アパートは海岸線に対して直角に2棟並列に建っていて海側には窓がない。
窓からは隣家の壁しか見えないが潮風は侵入して畳はいつも湿っている。ウエットを着たままあがるから砂でざらざらしている。
賃料3万円の2Kには不相応な米国シーリー社のウォーターベッド。セミダブルの水の風船だ。
ウォーターベッドは、その表面で眠るというより、その中に埋もれ眠るというかんじがする。
ベッドディッシュのヒーターで体温マイナス5度まで暖められた、分厚いビニール袋に詰められた水、寝返りを打つとタブタブ揺れる。
僕自身も体液がいっぱい詰まった袋だ。
タブタブ、タブタブ、僕の体液がベッドの体液のなかに沈んでいる。

眠りから覚めようとするとき最初に意識するのはいつも鼻腔から流れこむ空気だ。空気は肺を通さず直接脳に届くように感じる。空気は頭蓋の裏、脳の表面を撫でるようにひろがり、引いてゆく。
そんなときはいつも夢をみている。これは夢だと意識しながらいくらでもその夢をひき延ばすことができる。サーチすることもボーズすることもできる。
鼻腔から脳へと届く空気がふいごのようにそのビデオのモーターを回すのだ。

真珠のように濡れて光る皮膚の女がひらひら手を振り僕を呼んでいる。彼女は向こう側の岸壁にいる。少し屈んで岸壁を蹴り、海に飛び込みこちらに泳いでくる。
長髪が風に溶け水に溶ける。水の膜が皮膚を覆いさらに光沢を増す。内腿が張り、尻が尖っている。彼女は肉のようで鉱物のようでもある。
鉱物は所有できる。心がない。肉は所有できない。腐る。
僕は夢だと識りながら夢を楽しみ勃起していて、こっちに泳ぎついたら岸壁についた貝殻で彼女の皮膚が裂けるのもかまわず引き擦りあげて犯し夢精したら気持ちいいだろうなと夢想しているが、それは無理だろうと思っている。夢を破る理由は二つある。タイムカードと朝起ちだ。
タイムカードは4ケ月前に押さなくてもいいようにした。好きなだけ寝ていられるのだが、朝起ちすると痛くて、体の芯に殺到した血液が早くおしっこに立って楽になれと僕に言う。
夢のビデオの電源を切っておしっこに立とうか、おしっこを我慢して夢の続きを見ようかと迷っているうち喚寛が覚めてくる。鼻腔から流れ込む空気が潮臭い。やがて聴覚が覚め風の音を聴き、ああ今日はオンショアの強風なのかと識った瞬間外光がまぶたを透過する。
そうか、台風が過ぎたのかとワクワクしながらも跳び起きず、まだ夢の続きを見ようとしているが、すでにほとんど脳は覚めており、暫定的な無重力は続かず仕方なく起きてジョポジョボとおしっこをしながら朝いちのおしっこの橙とブルーレットの碧が交じってエメラルドに染まってゆく水洗の水をぼんやり見ている。
ベラベラしたビーチサンダルをつっかけながらドアを開け赤く錆びた鉄の階段を降りて海岸に出たら陽の眩しさに目がくらんだ。
足の裏に感じる砂浜の熱がヒザから腰へと這い上がってきて僕は目を覚ます決心をして頭を振り目をこすりアクビをする。
台風一過の乾いた空気が肺を一杯に満たす。空気は直接脳にではなくちやんと肺へと届いている。
バナナ3本と牛乳500∝の朝食を済ませ押し入れを開けてシーガルとハーネスを出し1分で着替え階段を駆け降り艇庫の扉を開く。
友人と共同でアパートの一階にひとつ部屋を借り艇庫に改造したのだ。部屋から艇庫までは十歩、艇庫から海岸線までは百歩もない。
265cmのウイングスカッシュのカスタムと3枚のトライパネルのマウイセイル、ブルーマリンのオレンジマスト、ミストラルの黒いグリップテープのブーム、理想の長さに切断し、先端を失って尖らせた3本のシート。
4.3を選びギア一式を砂浜に放り出しセイルにマストを通す。フィンとジョイント、ブームの高さ、ハーネスライン、全ての位置は決めてある。それが最適かどうかは知らない、ただ迷うのが面倒なのだ。5分でセッティングを済ませビーチを蹴って海に出る。
台風のうねりが残っている。ブローが波頭を削り飛ばし、泡が顔にかかって目をつぶし鼻に入って潮の匂いが頭蓋のなかいっぱいに広がる。
限界まで上らせ防波堤をかわし、ノリ網をパスし、障害物のないアウトに出る。
そこは、ビーチとのある種の親和が断たれた心もとない外洋だ。かなり荒れているが、晴れているので怖くはない。尖ったうねりを越えるときジャンプしそうになり慌ててセイルを開く。まだジャンプしたくない。オーバーセイルで、アタマとカラダが分離している。ハーネスと腰の位置が決まらずセイルとボードも分離していて、背骨と骨盤の取り付けがズレてしまったように頼りなく、掌の皮が裂かれるように張り、マスト手がうっ血して痺れ、息を止めて我慢していると呼吸が乱れて鼓動が昂じ全身が心臓になったような気がする。
もう帰ろう帰ろう帰ろうよとカラダが訴え、ダメだダメだもう少しだと意識が励ます。もう帰ろう帰ろう帰ろうよダメだダメだもう少しだ。その葛藤を繰り返すうち疲れてくる。カラダではなくアタマが疲れてくる。疲れて意識が遠のき揺ら揺らぐらぐらして、覚めるように気づくと海がコマ落としサーチで動いているように見える。掌の皮の張りもマスト手の痺れも消え呼吸も鼓動も鎮まっていることに気づく。それは覚醒でも催眠でもあり、寝息をつくように上下する海面を見つめながらプレーニングしていると再びアタマが痺れ、アタマをカラダが追い越してカラダだけが勝手にセイリングを始め、やがてカラダも消えてクリアな意識が再生する。
それは感覚そのもので、すでにカラダもアタマもなく、五感だけが海を走っている。きわめてリアルな夢に似ている。
僕は現実よりリアルな夢をよく見る。目を覚ましていても夢のように現実感がないこともある。夢と現実のあいだに膜がない。
風が落ち、ひどく空腹なことに気づいて僕は現実にいることを知る。

当時僕はそのように、ウインドサーフィンだけをして過ごした。僕は25歳で、3年間勤めた土木関連の全社を辞め、失業保険とパチンコで食いつないでいた。
次の仕事もなにも決まっていないのに自分がなんで会社を辞めたのか、実際に会社を辞めてしばらくするまで分からなかった。
小さいけれど悪くない会社だった。若くても意欲と能力があれば大きな仕事を任せてくれたし、毎年びちびちした高卒女子が10人は入社してきたし、ボーナスは年4回支給された。
僕も悪くない社員だった。僕は土木技師で、月に70時間残業し、きれいな図面を描き、社内報を編集し、自費で専門書を揃えて新工法の企画書を作ったりしながら次の休日を心待ちにして、吹けば疲れ果てるまでウインドし、雨で無風の最低な日でも何かしら活動して休日を無駄にしないようにした。
そんなふうに真面目だったから、会社を辞めて自由な時間ができたら早起きして臨海公園を走り、英会話を勉強しながらバイトして、じっくり次の仕事を探そうと思っていた。
でもそんなことは3日で忘れた。海岸のアパートとウォーターベッドと寝覚めの夢とウインドがぐちゃぐちやして夢か現実か分からない日々に浸るともう向こう側には戻れなかった。
貯金がなくなりクルマを売った。ひどく怠惰な生活をしているのに自己嫌悪もしていない自分に驚いた。予定も目標もない、いつ眠っているのか起きているのか分からないような生活だ。
それほどウインドサーフィンがやりたかったわけでもない。焦燥がないわけもない。でもウインドサーフィンには、甘く怠惰な言い訳になる程度の力はあった。
突然目の前でネオンが瞬き我に帰った。銀球が中央のヤク穴に飛び込みパチンコ盤の下にあるカゴが開いたのだ。カゴは3つに仕切られていて、中央に球が入らない限り閉じない。
台の調子によって数発で閉じることもあればそのまま終了まで出ることもある。
電動ハンドルを絞り、弾道がカゴの中央に逸れない位置に固める。
風がないと駅前のパチンコ屋に入り浸り、パチンコに倦むと海を見にゆき、凪いだままの海面を眺めてはため息をついて、またパチンコ屋に戻った。
開店直後と夜は毎日、台をチェックしたから球の出が読め、週に数万にはなった。
カゴは相変わらず開き続けていた。悪くない。下皿の球を抜いて大箱に移し、ハンドルを固定したまま弾道を注視していると突然目を塞がれた。
ひんやりとした指の感触。
「だーれだ?」
レイコだ。肩に乳房が当たり、いい匂いがする髪が頼を撫でる。
「こら止めろや、いまカゴ開いてるから」
レイコは止めずヒジと胸で僕の肩を固定しどんどんと揺する。電動ハンドルが乱れ音とネオンが止んでカゴが閉まった。
アホ、と言ったが腹は立てていない。
レイコは市内の短大に通っていて、放課後電車に乗って僕がいる海の、駅前のパチンコ屋に毎日来る。僕がパチンコを続けているとつまらないのでいつもそうして邪魔をする。
1ケ月前海で知り合ったレイコは、僕のことをまだよく知らない。
彼女は19歳で、パンストを穿かないでもすねつるつるしたスネが細い足首に続き、腰が高く、細く、いい匂いがする。
上半身がやや逆三角形なのは高校のときバタフライの選手だったからだ。メガネが似合う、中森明菜に似た、優しい顔立ちをしている。
彼女のコンプレックスはまだ、とくに偏差値が高いとはいえないその短大に、一浪して入ったことしか知らない。
「今日はすぐに見つかったわ」と嬉しい顔をする。彼女は海にくるとまずパチンコ屋を探し、次に海を探し、最後にアパートにくる。僕が電話を持っていないので、連絡が取りにくいのだ。
臨海鉄道の高架を渡り、夕暮れの海岸を二人で歩いていると現実感がなくなる。細い、よくしなる指で逆光に透ける髪をすいている。
「今日はいくら勝ったの?」
「おまえが揺するから4千円」
「ねえ、ちやんと食べてるの?」
なんでこんな女が毎日会いにきてくれるのだろう?今日は泊まってゆけよと試しに言うと小さくうなづく。僕は驚き、おいおいおい本当に僕でいいのかよと思う。
僕は肉としてのレイコを恐れている。夢とも現実ともつかない暫定的な場所に、彼女をおいたままにしておきたいのだ。
僕の怠惰と焦燥は、現実をひきうける覇気を持たせない。
でも、・・・まあいいか、と思う。
明日もあの真珠の女の夢を見て、自覚めると隣にレイコが寝てたら最高だもんな。

・・・・・・あれから10年が過ぎる。
レイコは結婚して2児があり、僕は東京で職を得て、こんな小文を書いているが、相変わらずいつ起きているのか寝ているのか分からないような生活をしている。ウインドサーフィンはもう、あまりやらない。
僕は過去に対してセンチメントな傾向があり、海に住んだその9ケ月間のことは細部まで思い出せるが、その後の10年についてはほとんど感傷がない。
なぜだろうといつも考える。5年ほどまえ、右の原稿を本誌に載せたことがある。いま書けばその理由を見つけられると思ったが、結局同じ原稿になってしまった。
いまもときおり、あの頃の夢を見る。