……………… very short fiction 1989 ………………

based on a true story

ギューちゃん、27歳、童貞





■全身がさざ波に揺れた。
光が弾け、目が眩んだ。
日本信販の20回ローンで買ったサーファー艇を、
初めて自分で走らせることに突然成功した瞬間、
ギユーちゃんは、うまれて初めて自由になった
ような気がした。
信じられず、視線が泳いだ。
ブーム手を凝視し、足もとに焦点を合わせ、
バウを見て、自分が確かに走っていること確認し、
空を仰ぎ、沖を見た。
ああオレは、生まれてからこのかた一度も、
このブヨブヨしたカラダから出たことがないんだ
といういつもの憂うつを、
ギユーちやんは忘れていた。
1981年のはなしだ。
かれは僕に、ウインドサーフィンを教えてくれた。
vw.jpgTOKO 1983 ▲▼
ギューちゃんは神戸の三宮で、今でいうフリーターをしていた。当時のフリーターはモラトリアムな自由業者でも何でもなく、単なる底辺労働者だった。
ギューちゃんは日刊アルバイトニュースの京阪神版を買っては時給のいいコックのバイトを探し、三宮センタープラザ地下の食堂街を転々とした。
コックといっても調理師の免許を持ってないので、軽食喫茶のような店で、ケチャップをからめて炒めただけのイタスパとかミーサンとか貧しいものを作っていた。
ちゃんとしたレストランに入って腕を上げるという選択もあったが、ギユーちやんは軽食喫茶にこだわった。かれは当時27歳で、他のアルバイターよりはるかに年長だったからだ。
コックはウエイターより格上なのでプライドが保てるのだ。軽食喫茶なら、かれより年長なのはチーフと店長だけで次に偉いのがかれ、そして学生のウエイターという構図になる。
ちゃんとしたレストランだとかれは一からやり直さねばならない。自分よりあきらかに頭の悪い年下の男の下で働くことになる恐れがある。
仕事を終えるとギユーちやんは酔虎伝というタイガースファンの集まる居酒屋で酎杯を飲み、一人暮らしのアパートに帰って北野のパブで手に入れた大麻樹脂をちびちび喫い、たまに同じ店で働く若くてウブなウエイターをアパートに呼んで仰々しく大麻を出しては回しのみ、軽蔑されないように注意しながら自慢話をした。
ギューちやんは身長170cm体重66kgで、データからすると標準なのだが筋肉が細く脂肪が厚い体質で、歩くと乳が揺れた。
安もののハムのような肌色をーしていて、当然女性にはもてなかった。
いや、当然というのは不正確だろう。デブで貧乏でもモテる男はいる。1989年だといないかも知れないが、1981年には少数ながらいた。しかしギューちやんは徹底的にもてなかった。
たぶん、女性を「引きうける」能力に欠けていたのだ。
女性は一般に説得されたがっている。
もちろん筋肉質で長身でポルシェを持ってる方がいいのは当然だが、女性も不断に待ち続け、下品にならないように隙を見せ続けるのは疲れるのだ。
気持ちよくダマしてくれるのならそれでいい。
刃物で両断するように、オマエはオレでいいんだよと引導を渡してやることができればギューちゃんにもチャンスはある。
かれはそんな言葉を持てなかった。ある意味では誠実だったのだ。自分のことが艮く分からないのに、なんで他人を、自分のために説得することができるのだろう?
ギユーちやんはもとより相手の目を見て話すタイプじゃなかったが、女の話になると極端に視線が落ち着かなくなったり、変にすわったりした。ひょっとしたらまだ、童貞だったのかもしれない。


ギューちゃんを形成した原体験は、ローラースケートにおける失敗である。
昭和30年代の初期からローラースケートはあった。後藤久美子が履いているような、白いハイカットシューズと一体化したものではなく、ラッチのついた金具で長さを調節し、2本のベルトで足に止めるものだ。
ギューちやんは今でも思い出す。
ケン坊がスケートを投げてよこし、滑ってみろよと強迫された日のことを。
小学校に上がってたっけ? 国鉄灘駅近くの急坂のてっぺんで、崖っぷちに立ってるようだった。
ザラザラしたコンクリート舗装。坂の右手は有刺鉄線でキリンソウが密生した急斜面が線路へと落ちている。男の子だったから、世界長パンサー運動靴の上にべルトを止めるしかなかった。
ケン坊の罵声に背中を押されるように、目をつぶって滑った、腰が残り、ヒザが浮き、右足が空を掻き、後頭部を打ち、吐いた。
ヒジの皮膚が削りとられ、砂粒が入り、泣きながら家に帰った。オフクロがモリナガのフルーツ牛乳を買ってくれ、抱きしめてくれた。乳児のとき以来、久しぶりに抱かれたような気がした。
ジエッターを蹴とばしてオフクロに叱られた。
ギューちやんが飼ってる雄猫だ。TVの「少年ジエッター」から名をとった。
発情期になるとジエッターは、雌猫を求めて外出してはケンカに敗れ、血を滲ませて帰宅し、ふさぎ込んだ。甘えないぶん、ジエッターの方がマシだった。
ローラースケートはトラウマになった。
昭和30年代は運動能力が子供社会のヒエラルキーに影響した。
stepvan.jpgkobe, suma 1981
gyu.pdfkobe suma 1983 →LinkIcon → download to read




飛び箱はやっと4段をとんだ。鉄棒はやっと逆上がりができた。極端に鈍い訳ではなく、級友たちも冷笑しなかった。ギューちゃんは一所懸命勉強して、コンプレックスを隠した。
4年生に上がるのが恐かった。慣習で、男の子は全員リトルリーグに入ることになっていたからだ。
とび箱やマット運動ならごまかせても、野球のような高度な運動だと、コンプレックスが露呈してしまう。キャッチボールくらいはしたことがあったが、肩が強い友が投げる球が恐かった。
結論を言えば、ギューちゃんは野球をうまくしのいだ。しよせん2軍の補欠なんて、誰も注目せず、大して練習しなくてもいいのだ。
しかし、ギューちやんには、そんな「かわす」態度が植え込まれ、その後の人生にずっと影をおとした。
もとよりギューちゃんは馬鹿ではなかったし、じっさい勉強もできたので、何度もそんな自分を打破しょうと試みた。
24か25の頃にはテニスを始めた。コナーズからポルグの時代へと移り、女子大生や単なるオジサンオバサンがフィラのウエアを着るようになる前のことだ。
テニスは最悪だった。野球よりずっと、メンタリティーが結果に影響するうえ、個人競技だったからだ。
カラダは常にイシキより偉い。
テニスにおける失敗のあと、ギューちゃんはそう考えるようになった。
ギユーちやんにも何度か、目の覚めるようなフォアハンドを打てることがあったからだ。
熱いやかんを触ってしまって反射的に手を引く速度は、カール・ルイスもおれも大して変わらないのだ。  
運動能力のある人は、「意識的に」カラダを解放していたのだ。
つまりおれは頭が悪くて、運動神経が悪かった訳ではないのだ。
ギューちゃんは救われたような、余計絶望したような妙な気持ちでいた。

35万で買った、ホンダステップバンのルーフにサーファー艇を積み、三宮のトアロードを流すだけで、ニュートラのOLや、ナンジョ(甲南女子大)のレイヤードヘアが、憧れが混じった視線をギューちやんに送った。ギユーちゃんはあわててオニールのポロシャツとレイバンのサングラスを買った。かれが生まれて初めて味わう種類の快感だった。
ウインドサーフィンは当時先鋭的な風俗だった。
初体験は甲子園浜のスクールだった。甲子園のショップでサーファー艇を買い、5%しか値引きしてくれなかった代わりにつけてくれたフリースクールに参加したのだ。
UCLAのジョギングパンツとウインドブレイカーを着て、ギュー ちゃんはやや緊張してスクールに臨み、まだ海につけたことのない自分のサーファー艇をそっと浜に置いた。
賛肉がなく、チョコレート色をしたイントラをギユーちゃんは羨んだ。
ギューちゃんはセイルを立てることもできず、ダガーを肩にかけた胸の薄い敏捷そうな女の子にぶつかりそうになりあわてて海に落ちた。足に鋭い痛みが走り顔がゆがんだ。少女が振り返り、フンと鼻を鳴らすような表情をした。
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ケッ、チチもないくせにと心の中で毒づき足を上げると出血していた。
ビール瓶のカケラかなにかで切ったのだろう。ローラースケートを思い出しそうになり頭を振った。
一緒にスクールを受けた背の低いオッサンはヨタヨタしながらも一応走ってしまった。
「ななめ沖から風が吹いてるでしょ。サイドオンショアゆーんですけど、ビギナーには最高なんですよ。微風やしぬくいし、こんなええ日はないんやけどねー」と、チョコレート色が皮肉まじりの口調で言った。
甲子園浜には関大の学連とか、賛肉のないチョコレート色がいっぱいいた。
ウインドをあきらめそうになっている自分を怖れた。
ギューちゃんは須磨に逃げた。
当時の須磨には学連がおらず、フレアジャイブを決める奴も数人しかいなかったからだ。
学校帰りの中高生とかのギャラリーはいっばいいた。かれらはウインドのことを知らない。
相変わらずセイルを立てることすらできなかったが、そんな恥ずかしさはウインドという先鋭的なスポーツにトライしてるんだよという状況で相殺できた。

ギューちやんは突然走り始めた。
11月の晴れた午後だった。
かれはその日、タックとジャイブまでやってしまった。セイルを落とさずにボードを回したということに過ぎないが。
コックの仕事を遅番に変えてもらった。
日曜日にウインドしたかったからだ。
日曜日の須磨海岸にはアベックが沢山くる。可愛いい女の子と、自分より質の良さそうな男のアベックを一見つけると、ギユーちゃんはわざと岸近くでジャイブした。
連れの女が眩しそうにおれを見る。男はおれに嫉妬する。
冬が近くなり、アベックの数も減った。セイラーの数も減った。
ある日、ビーチに1人ぼつんと座った娘がおれを見つめていることに気づいた。
寂しかったのかも知れない。酔った時、キャパスケに声をかけたことしかなかったが、ナンバできそうな気がした。
一計を案じた。できもしないレイルライドにトライして、わざとバリで足を切り、大げさに沈したのだ。うまく足が切れた。機敏にボードに上がり、これはスマートにこなせるセイルアップをしてビーチに向かった。心臓が絞られるような気がした。
「あの、足、切ってもうたんやけど、ティッシュかなんか持ってませんか?」
驚くほど自然にいえた。
彼女がおれを上目づかいに見ていてくれたからだ。
デビューした頃の浅香唯に似ていた。
いい、いい、と言ったのに、浅香唯はハンカチを貸してくれた。
違い目、ローラースケートを投げてよこしたケン坊に復讐したような気がした。
幻想だ。
(甲子園浜だったらナンバできただろうか)
幻想で良かった。
ギューちゃんは、コンプレックスこそ幻想だったのだと、信じたかった。