……………………………… very short fiction 1998 ………………………………

title.jpgdesign by YUZZY


■国境の、ながいトンネルを抜けるとそこは雪
国だった。
日帰りは無理だった。
トンネルの向こうに宿をとるしかなかった。
某温泉町観光協会に電話したときから、わる
い予感はしていたのだ。
某有名スキー場近くの宿をさがしているんで
すが、と、わたしは訊いたのだった。
「はい、日時と宿泊される人数、ご予算は」
と、応えてくれるはずだった。それが観光協
会の仕事であり利益であるはずだから。
いつかの?、と電話のむこうから、初老の男
が土地の言葉で尋ねる。
わたしはほっとする。
この男は、かれの仕事をまっとうしてくれそ
うだ。
わたしは、じぶんで言うのも変だが、きっち
りとしているほうだ。
老人には席を譲り、税金の滞納もなく、駐車
違反のタグをつけられればその足で署に出頭
する。もちろん仕事だって──コンピュータ
-システムのメンテナンス会社に勤めている
のだが──クライアントが支払う料金以上の
サービスを提供しているつもりだ。
だからってわけじゃないが、わたしは他の社
会人にも、同じことを要求する。べつに難し
いことじやない。当然のことだ。
しかしだ、たとえば、わたしは独身で外
食が多いのだが、ちゃんとしたご飯が出てく
る食堂のほうが珍しい。食堂は、飯を炊くプ
ロであるはずなのに、たいていは飯がべっち
ょりしている。そういう店は味噌汁もひどい。
出汁が利いてないことはもちろん、たいてい
は薄すぎて、具がしおれている。なにも完璧
な飯を出せといっているのではない。ふつう
にマジメな主婦が、ふつうに炊いた程度の飯
と味噌汁でいいのだ。
ひどい飯を出すからといって、とくに料金が
安いわけではない。そんな店、さびれてもい
いと思うのだが、少なからず客がいて、文句
も言わずかき込み、代金を払うとき「ごちそ
うさま」と言いさえする……。
──余談が過ぎた。
話を戻そう。
いつかの?、と電話のむこうから、初老の男
が土地の言葉で尋ねたのだった。
何人かの?
「2月10日、一泊で8人です」。
わたしは、大学のテニスサークル同窓会の幹
事を任されたのだ。
スキーヤーもいればスノーボーターもいる。
どうせなら雪山で、ということになった。
難しいことはわかっていた。
翌2月11日は建国記念日で、8人。マイナー
なエリアのマイナーなスキー場にすれば良か
つただろうが、女の子にウケないと思った。
大学の時、ずっと片想いしていた、いまは派
遣社員として食品メーカーで働いているケイ
コも参加するのだ。
「あー、……」
親父が苦しそうな声をあげる、
「イシハラ旅館さんなら空いてるんじゃねえべ
か」
自信なさそうな返答、当然、続けて料金と立
地を教えてくれるべきだが、返事がないので
仕方なく尋ねる。
「○○スキー場さんからは、遠くはねえべよ」
遠くはないとはどの程度か、歩いていけるく
らいか、無理なら送迎してくれるのか?、
宿はペースの町にあるのか、スキー場の中腹
か、風呂はいいか、飯はうまいか?
いちいち確認する。
歩いていけねえこともねえべよ、
風呂は悪かねえと思うよ、
飯も、まあいいんでねえの、
何を訊いても答えがはっきりしない。知らな
いから(観光協会の担当者が知らないで済む
わけがないのだが)というよりは、「奥歯にモ
ノが挟まった」ようなって言うのだっけ、は
つきり答えて、イシハラ旅館さんに恨まれたく
ねえもんでみたいな、不誠実なかんじがする。
仕方ない、教えてもらった電話番号にかけて
確認する、と、あっさり断られた。
「すみませんねえ、10日はもうー杯なんですよ」
この時期になって、休日前に8人の予約だっ
て? 呆れたような響きが、その声には交じ
つていた。
仕方ない、また観光協会に電話する。同じこ
とを3回繰り返し、ペンション・シーゲルで
やっと予約ができた。
一泊2食つきで税別9500円、「ディナーはフ
ランス料理」だという。少々予算オーバーだ
が仕方ない。じゃあ10日、よろしくお願いし
ますね、と電話を切ろうとすると、
「チェックインは4時ですから。夕飯は8暗ま
でに食べてと、皆さんにお伝えくださいねえ」
と、クギをさすように、念を押された。
2月10日。6時半に待ち合わせたのだが、遅
刻する者もいて、クルマ2台に分乗して渋谷
を出たのが8時で、首都高のラッシュにはま
り、K越自動車道も事故渋滞して、Y沢のスキ
ー場に着いたのは午後2時を過ぎていた。駐
車場を探し、着替えをして、ゲレンデに立つ
とすでに3時だった。
ペンション・シーゲルのディナーは8時まで
で、せっかくのフランス料理は風呂に入って
から戴きたいから、6時半には宿に入らない
といけなくて、3時間弱しか滑ることができ
ないのに、3500円の午後券を買うしかない。
回数券では足りないような気がするし、ゴン
ドラに乗れない。東北のどこかのスキー場に
あると聞くけれど、「時間券」がもっと普及す
ればいいのに。
皆は渋滞で疲れているのに、幹事のわたしに
気をつかってはしゃいでくれる。
わたしに気を使ってはしゃいでくれるみんな
に、わたしは気を使って疲れてしまう。
shoRT.jpgillust by A2

スノーボードは金がかかる。
板やブーツやウエアに金がかかるのは仕方がない。
安くはないが、最近は供給過剰気味で、無理
を言わなければいい買い物もできる。
問題は、選択の余地がないランニングコスト
だ。たとえば今朝の渋滞で2時間を無駄にし
た首都高、東京オリンピックに間に合わせる
ため急いでつくり、あちこちに綻びがある
(箱崎には信号さえある)この道路は、30年
後には償却して通行料を無料にする公約だっ
た。なのにいまだに値上げを続けている。
K越自動車道も似たようなものだ。
世界のどこに、インフラの基本である道路
の通行料金だと、数千円も数万円も徹る国が
る? けれど日本人は、値上げにもさして
文句を言わず、黙って渋滞に耐えている。
それは仕方がない。
ほんとは仕方がなくはないのだが、相手が
日本国政府なので、短期的にはさしあたって
我慢するしかないのだ。
しかし、スキー場と宿は、こちらに選択の
自由があるはずなのだ‥…。
ゴンドラの列にならぴ、やっと乗れた時に
は4時を過ぎており、ゲレンデもリフトも混
んでいてほとんど滑れなかった。
ベースから、ペンション・シーゲルヘの道を、
スキーを担ぎ、スノーボードを抱え、皆な
で歩いた。
同窓会の始まりはひどかったが、誰もが高
揚していた。大学時代のように、これから皆
いっしょに一夜を過ごすことが楽しみで。
ペンション・シーゲルは、名こそペンショ
ンだが単なる民宿だった。玄関の脇にある乾燥
室の戸の建て付けが悪く、やっと開けたが
暖房が入っていなかった。
「某テニスサークル同窓会の皆さんね」と、
ペンションのママというよりは農家の小母さ
んみたいな女将に迎えられる。
「ご飯は6時半から8暗までに食堂で食べて
くださいねえ」
「お風呂は9暗までが女性で、男性はそのあ
とから入れますからねえ」
アスペンとかシャーモニーとか、部屋の名
がついているのに、小母さんは、階段降り
突き当たりを左の部屋ですよお、と指さす。
「階段降りて突き当たりを左の部屋」には窓が
無かった。屋根暮部屋のように傾斜した天井
にちいさな明かり取りがあるだけだ。
10畳くらいで妙に細長く、部屋にはすでに布
団が8組、並列に敷かれてあった。
長辺方向の壁一面が押入れになっており、
開けると、不自然に奥行きがあった。
ポットと急須が載ったテーブルが隅に押し
やられ、おのおののバッグを降ろすと文字通り足の踏み場がなくなった。
女性も3人交じっていたのに、部屋はそのひ
とつだった。
すでに布団が敷かれた布団部屋で雑魚寝せよ、
と要求されていることに間違いはなかった。
晩飯の前にすでに布団が敷かれているのは、
賄いのおばさんの勤務時間の都合らしかった。
男女8人、布団のうえに座るわけにもゆかず、
やや呆然と立ちつくしていると、薄い壁を通
して、痰を切るおっさんの声と水洗トイレの音
が聞こえ、派遣社員として食品メーカーで働
いているケイコが、落胆したことを隠さない
ようにうつむいた。

「お食事の用意ができましたので、食堂にお集
まりください」
廊下のスピーカーは雑音が多く、音声が割れ
て聞こえる。
──本日のメニュー。
「クリケット・ホワイトソース添え、若鶏のプ
ロバンス風」
手書きでそう書かれた、小さなホワイトボー
ドが載ったテーブルは、叩くとそのボードが
跳ねそうに天版が薄く、脚の1本が浮いてガ
タつき、床はタイル柄のビニールで、同じく
ビニール製のスリッパは裸足で穿くとべ夕つ
いて気持ち悪かった。
テーブルの間を8つくらいの男の子がうるさ
く走り回り、小母さんが口汚く叱って追いか
け尻を叩いた。
厨房と食堂の間の壁には配膳のため小窓が穿
たれ、表面が波打ったステンレスのカウンタ
ーのうえにひと抱えもあるジャーが置かれ、
その脇の水を張ったボウルに飯をすくう杓子
が突っ込まれていた。
胡椒、アジシオ、七味、醤油、ソース。
丸い、プラスティックのワゴンに調味料が載
っている。スーパーで売っている小瓶そのま
ま置かれている。ソース瓶の液面上の内側に
乾いたソースがこびりついている。
皆な、表情や、喋ることが、不自然だった。
ベンション・シーゲルへの失望というよりは、
幹事であるわたしに気をつかって苦しんでい
るのだ。──けれど、いちばん苦しかったの
は誰よりも、このわたしだった。
大学を卒業してからの、それが初めての同窓
会だった。社会のきぴしさや冷たさをそれな
りに体躾し、皆なこの旅をどれほど楽しみに
してきたことか。
プラスティック製の黄ばんだ定食盆で「本日
のメニュー」が運ばれてきた。
「クリケット・ホワイトソース添え」はただの
コロッケにマヨネーズがかかっているだけだ
った(正確には、スーパーで売っているタル
タルソースみたいな‥…)。
「若鶏のプロバンス風」は塩胡椒してロースト
しただけで、プロバンス風(ってなんだよ)
というよりは「解凍鶏モモの照り焼き風」。
あとはコーンポタージュ(このメニューなら
普通は透明なスープだろう)、しおれたレタス
のうえにべちょべちょのマカロニサラダ。
平皿にごてっと飯が盛られ、福神漬けと
ラッキョが添えられて妙だと思ったら、テー
ブルの中央にカレーが入った土鍋が置かれた。
明らかに、スーパーや、仕出し屋から買い叩
いてきた食材を暖めなおしたもので、
snow.jpg
LinkIcon → download to read

厨房の仕事は、缶詰のコーンポタージュを暖
める、マカロニを苑でてマヨネーズを和える
程度に違いなかった。
うまいわけがなかった。
ひどく空腹だったので、男たちはそれでも、
カレーでお代わりするため、水を張ったボウ
ルに突っ込まれた杓子をとって、ごてっとし
た飯を盛るのだった。
空腹は景高のシェフだというが、嘘だ。
まずいものは、空腹でもまずい。まずいもの
でも、食わないことには、空腹が収まらない、
ということに過ぎないのだ。
「本日のメニュー」を、のみくだしながら、私
は腹が立って仕方がなかった。
仕事には、金儲けという側面と同程度に、や
りがいと言うか、物をつくる仕事であれ、サ
ービスを提供する仕事であれ、相手に喜んで
もらうヨロコぴ、があるはずだ。
ペンション・シーゲルにも、いろいろ事情が
あるのだろう、しかし、儲かるときに儲けよ
う、ぽったくろうという意識しかみえない。
なのに食堂は満席だ。わたしたちを布団部屋
に押し込んだということは、他の部屋は埋ま
っているのだろう。
おかわりの飯を盛りながら眺めると、みなそ
れなりに楽しそうにしている。
?、なんだよお前ら、これで9500円税別で
文句ねえのかよ? 星一徹みたいに、テーブ
ルをひっくり返したくなんねえのかよ?、
ロビーにあった「おもいでのーと」を繰って
みたのだが、「マスターのおはなしがステキで
した。また聞かせてね。リエ」みたいな書
き込みがけっこうあって、リピーターも案外
いるのかも知れない。
ひょっとしたらマスターだって、ぽったくっ
てるなんて意識はなく、うちのお客さんは喜
んで帰ってると、ペンション・シーゲルを営
むことに、自己実現的な歓びを感じているの
かもかも知れない。
なぜこんなに腹が立つのかが分かった。
おれ自身に腹が立つのだ。
ちゃんと調べもせず予約して、布団部屋の雑
魚寝にも苦情を言わず、おれだって、この、
べちゃっとしたクソみてえな飯を盛ってるじ
やないか。
わたしは席にもどり、わたしに気を使ってく
れる皆なに気を使うのにも疲れ、無言でまず
いカレーを乱暴にかき込んだ。
楽しもうと思って、いろいろと計画を立てて、
お金を集めたのに、なんでこんな思いをしな
くちゃなんねえんだ。
「ごちそうさま」
小さな声に顔をあげた。
派遣社員として食品メーカーで働いているケ
イコが食膳を戻しながらそう言ったのだった。
「あいよっ!」と、不潔な茶髪に頭巾もしてい
ない、厨房の若いバイトが受け取った瞬間、
わたしは小さくない声で吐き捨てていた。
「こんなクソ飯にごちそうさまなんていうこと
ねえよ!」
食堂にいた全員が凍りつき、派遣社員として
食品メーカーで働いているケイコはしくしく
と泣き出してしまった。
…………。

出発前には、毎年の恒例にしようと盛り上が
つた同窓会は、あれ以来、行われていない。
(少なくとも、わたしには連絡がない)
あれ以来、わたしは、あれほど夢中だったス
ノーボードも、やめてしまった。


つまらない理由で、
スノーボードを止めるな。
(解説)

●小説というには、プロットが甘く、主人公
のキャラクターも漠然として、締め切りに追
われた作者が、3時間くらいで書き飛ばした
ということが行聞から読みとれる。
しかし、解説者は、スノースタイル誌のこの
ページで、あえて小説という体裁をとったこ
とは理解できるのだ。この小文を目にしたど
こかの観光協会がクレームの電話をしてくる
ことを予想し、伏線を張ったのだろう(つま
り、小説とは本来フィクションだから)。

物語はやや極端だが、ハイシーズンに、メジ
ャーなスキーエリアで宿をとったスノーボー
ダーなら誰でも多少は領ける内容となってい
る。
言わずもがなだが、作者は「ペンシ
ヨン・シーゲル」が象徴する、アコモデーシ
ョンー般を攻撃しているのではない。
問題は「ペンション・シーゲル」ではなく、
選択できないこと、翻って言えば、「努力し
て選択しよう」ということなのだ。
「ペンション・シーゲル」が物語の内容で
9500円なら論外だ。が、布団部屋でも素泊ま
り2500円というオプションがあれば、それは
それで納得できるのだ。
問題は、オプションが少ないこと。だから
「頑張って」選ぶ必要があるということ。そ
して、お金を払うのだから、きちんと評価す
べきだということ。
満足できなかった宿やスキー場には2度と行
くなということ。そういう批評精神こそが、
サービスを向上させる。
解説者は、作者の、読者に対する暖かい問い
かけを感じるのだ。
「せっかく始めたスノーボードなんだから、
つまんないことで止めるなよ」

スノーボードは金が掛かる。
板、ブーツ、服、リフト券。
高速道路代を節約しようと一般道を走るとい
よいよ日帰りは難しくなる。
たとえばサーフィンでは、外房など、素泊ま
り2500円の安宿や700円で腹一杯という飯屋
を捜すのはそう難しくはないのだけれど……。

スノーボードにおいては、宿代がいちばん納
得できない「痛い」出費となり、この物語の
幹事氏のような経験を2度3度と繰り返し、ス
ノーボードを止めてしまうことが多いのだ。
読者諸君、しっかり選択しよう。
つまらない理由で、スノーボードを止めるな。