行き倒れるか、サバイブするか。 ■かつてサムタイムワールドカップの場となった、御前崎白羽海岸は──わずか十数年前まで──サッカーコートが何面もとれそうな砂浜だった。 現在は護岸である。 ロングビーチは痩せ、砂が消え、砂利浜と化した。 茅ヶ崎はヘッドランドができてから海岸侵食が加速し、急深の砂利浜になり、波が割れず、ショアブレイクオンリーになった。 長者が崎も阿字ヶ浦もかつての砂浜が消えた。 「観測史上初」という何十年に一度の異常気象が日常になり、夏のサーマルが吹かなくなり、低気圧や台風が異常発達し、豪雨と干ばつ、猛暑と豪雪など気象が極端になった。 全国で、世界で、同様のことが、急激にすすんでいる。 「環境問題をテーマにした記事を」と、編集長に請われ、困ってしまった。 書くということは、ある考えを提出することなので、そこに何らかのオリジナリティがないと意味がない。 なにを提案すればいいのだ? 温暖化で地球がやばいですよ、"MOTTAINAI"から、マイ箸やマイバッグを持ち歩きましょう、などと書いてもしょうがない。 いやそういう心がけは大切だよ、同感、でも実効性はほとんどない。産業構造や社会システムを変えないと。(かつ人口を減らさないと) 煙草の増税論ではないが、いっそ石油1リットルが1000円になったら、産業も社会も変わらざるを得ないから事態は好転するのではないか。 温暖化は汎地球的な問題である。 日本の温室効果ガス排出量は世界全体の数%といわれている。仮に6%とする。日本国民全員がエコに励んで生活を見直しても、削減量は1%に満たないのではないか。 日本政府は、2050年までに温室効果ガス半減といっているが、官民挙げてその難題を達成したとしても、世界全体からみれば3%にすぎず、「大口」である米国や中国は京都議定書を無視している……。 事態は深刻だ。 石原都知事は日経のサイトで以下の発言をしている。 (http://eco.nikkei.co.jp/interview/article.aspx?id=MMECi1004021052008 より抜粋) ──〈私の手元に東京大学の山本良一教授の編集になる、面白い、というよりそら恐ろしい『1秒の世界』という統計がある。今、この世界ではわずか1秒の間に「体育館32棟分、39万立方メートルの二酸化炭素が滞積し」「大型トラック63台分、252トンの化石燃料が消費され」 |
「テニスコート20面分、5100平方メートルの天然林が消失し」「2300平方メートルの耕地が減少し」「世界で40万キロワットアワーの電気が消費され」、さらに「5秒間に2人の人間が飢え死にしている」という。地球と我々の子孫の行く末を思うと、実に恐ろしいことだ。〉 事態は深刻だ。 冷静に考えると、人類に未来はないように思える。 けれど我々は本当に危機意識をもっているのか? 疑問だ。排出権取引にしても、エコ替え(家電やクルマをエコな新製品に替えましょう──で、新製品の製造・流通、旧製品の廃棄コストは?)にしても、温暖化クライシス便乗ビジネスとしか思えない。いやビジネスでいいのだが──ボランティアや理想論では続かない──問題は、それに、本当に実効性があるのか、ということだ。 同じく日経のサイトに、養老孟司氏の 「つまり、石油によって、人類がバカになったからだ」 という趣旨の発言がある。長くなるが、眼が洗われるので、ふたたび引用したい。 (http://eco.nikkei.co.jp/interview/article.aspx?id=MMECi3028029052007&page=2 より抜粋) ──〈一般的には文明とは「生活を便利にすること」だと思われている。しかし、それは表層的な理解にすぎない。本質的には、文明は「秩序の維持」なのだ。そして現代文明は、社会秩序を保つために、石油を使っている。 たとえば部屋の温度は自然に任せていると勝手に変化する。だが一定の秩序を保たせるために冷暖房を入れる。その仕組みを維持しているのが石油エネルギーだ。電車が時間通りに来るのも、石油が足りなくなればあっという間に不可能になる。 古代にも文明はあったが、このとき使える資源は石や木材しかなかった。それでも秩序を維持するために彼らは何をやったかというと、むしろ人間を訓練した。そうする中で「偉い人」が生まれた。 石油文明は人間を訓練しない。だからマニュアル主義となる。根本的にはエネルギーが秩序を支えてくれる。人間は役に立たないという前提で、それでも社会が成り立つようにシステムができている。 その結果何が起きたか。人間の質が劣化したのだ。「なぜ日本人は劣化したか」という最近の本がある。面白いことにこれを読んでも「なぜ劣化したか」はひとことも書いていない。劣化したのは、実は本来人間がやるべきことを石油にやらせているのが理由だったのだ。 昔は「努力・辛抱・根性」という言葉があった。よりよい生活をするためではなく、根本的には、社会秩序を維持するためにこそ「努力・辛抱・根性」は必要だった。それを消しちゃった。それでも秩序が保てるのは、エネルギーを大量に使っているからだ。 ところがここにきて、この仕組みを維持できなくなってきた。それが地球温暖化と石油埋蔵量問題だ。 |
米国は京都議定書に入らなかった。日本は大変なコストをかけて議定書を守るだけでは、国際競争上、大損をすることになる。 しかも日本がいくら節約したところで、温暖化にはほとんど関係がないのだから。 残念ながら石油はなくなる。短い計算ではあと40年とも言われている。石油がなくなるとき、日本はどうするのか。シミュレーションをやってみるべきだろう。 しかしわかっていても、手を打てない。「死の壁」でも書いたように「あなたは死にますよ」と言われても、本気で死ぬことについて考えることは難しい。それぐらい、人間はバカで、そこに大きな壁があるのだ。〉 しかし、と養老氏は続ける。 ──〈お話してきたことは、みんなが自然に気がついていることばかりだ。こういう世界が長続きしないのは、日本人の8割が本当はわかっている。 数年前、自分たちが生きている時代より子供たちの方が悪い時代を生きると答えた人が8割いた。現在のような状況が続かないだろうということは気づいている。そういう意味で、日本の国民は、民度が高い。「変わらなきゃ」という認識は強いのだ。〉 人類は、火を使い、核を使い、と、前のめりに進むことしかできない種であろう。 立ち止まったり、Uターンすることはおろか、歩みを緩めることさえできない。 前のめりに進んで、石油を食いつぶし、行き倒れるか。 なんらかの打開策、代替エネルギーを開発するなどして技術的にサバイブするか。その二択。 バイオエタノールや燃料電池や、いろいろな次世代エネルギーが喧伝されているが、それらは「つなぎ」で、無料で、さんさんと与えられる太陽光や、風力、潮汐、地熱など自然エネルギーを高効率に利用し、かつそれで間に合う高効率な社会システムをつくるしかないだろう。 「行き倒れ」かサバイブかを分けるのは、石油ではなく「意識」のレベルの差だ。 その意味で、ウインドサーファーほど、環境のかけがえの無さとその危機を体で知り、切実に意識している人種はいないだろう。 風力発電の効率を聞いたウインドサーファーは疑問を感じる。セイルに風を入れ、グンと我が身を浮かせ、あれほどのエネルギーで駆動する、真の風力をわれわれは知っているから。 あるいはあれほどの"G"をもたらすリップのパワーを。 かつて、マストオーバーの波でリップし、ジャンプする、Ho'okipaのウェイブライダーをみて、 「超人類だ」と評した人がいた。 環境のために、なにができるか、なにをすべきかは難しい。が、われわれの役割は小さくはないはずだ。 |