…………… HAWAIIAN HOUSE (古くて新しい家と暮らし) ……………

ハワイ旅行に行くと、わくわくし、リラックスする。交感神経と
副交感神経双方が刺激され、その気候も手伝って、体調も、脳内環境も良くなる。
しかし残念なことに、ハワイ旅行するあなたは、ビジターであり、刹那であり、
VIRTUALである。ならば日々の生活を、住まう家をハワイアンにすれば良いではないか。
ハワイにいるときのような心身のヘルシーさを、日常に、REALにする。
そんな家に住まえばいいのだ。
Q...... どちらが "HAWAIIAN" HOUSEでしょう?

answer.jpgどちらもハワイアンです
■ハワイアンハウスとは、ハワイアン様式の家ということではない。それは暮らし方の、生き方の、ある方針である。素の意味で快適でヘルシーな暮らしを実現する。それがハワイアンハウスである。
      

HAWAIIAN HOUSEとは
脳内デトックス装置である


われわれの脳は、身体以上に汚染されている。
大切なことを曇らせる先入観、見栄、勝ち組負け組
……。
恐ろしいことに、生活のコアである「食」や「家」も
脳内汚染の産物になっている。
ハワイアンハウスはコペルニクス的転換をもたらす。
そこに帰ると脳がさらさらと浄化される。
そこで生活すること自体が解脱。
以下、ブレーンストーミング的に、
そのエッセンスを列記してみる。
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くうねる住まう──
プリミティブな家

■人類の歴史が400万年だとしたら、399万年は草原や森で眠っていた。風雨を避けるためやがて天幕を架けるようになり、毎日ねぐらを建てるのは面倒だから、1週間保ち、1ケ月保つようにした。営巣だ。家とは本来そのように原始的なものだ。大脳新皮質の進化(?)により、家はしかし「富の象徴」や「男の甲斐性」みたいな不純なものに左右されるようになった。
いまここで、現代の生活をスポイルしないうえで、家を原点回帰させることはできはしないか。それは可能なはずである。なぜなら古い脳は覚えているから。たとえば本当はあなたは知っている。快適な空調なんて無い。自然の風に勝るものはないということを。
空と土がつながる家


■東京タワーが見えなくても、レインボーブリッジや富士山の眺望がなくとも、誰にも平等に──しかも無料で──与えられるもの、それは空だ。
坪15万の土地にも、1500万の土地にも等しく空は与えられる。
ならば家を「空抜き」にすればどうか。家の中の空の下に「土」があればさらによい。
大気が流れる、「家屋内
屋外」でくつろぐ

■家は、屋根を葺き壁を張り、外界と遮断するもの、と決まっているわけではない。寝室や風呂、トイレなどプライベートスペースはその機能上、外界から遮断されたほうがいい。しかしリビングやダイニングなど、生活のパブリックスペースには、必ずしも壁や屋根は必要ではない。むしろ陽光やそよ風を享受した方がいいではないか。
雨? 
収納式の天幕を架ければいい。いわばコンバーチブルリビングである。
自然食品庫としての畑、
を内包する家

■家には古来、外敵や風雨を避けるということと同等に重要な、食品保管という機能があった。現代ではその役目をもっぱら冷蔵庫が負っているが、「空抜き」の「家屋内屋外」に「畑」があってもいいじゃないか。この畑には3つの機能がある。
第一に有機野菜の自然食品庫。
第二にデトックス装置。家に帰った途端土の匂いがし、脳がさらさらと浄化される。第三に価値転換。生活の基本は食だが、現代人は泥付の野菜を敬遠しサプリメントやゼリーで代替するような歪みを持ちがちだ。この畑は「正食」へといざなう。
ハワイアンハウスは、
逃避ではなく、戦う手段

■そこに逃避し、ひきこもるのであれば、REALなハワイアンハウスでなくても、VERTUALなサイバースペースでも何でもいいわけだ。
ハワイアンハウスは戦う手段である。強酸性の外界で奮闘し、疲れ、やや汚染されて帰り、ここで中和し、回復し、充電し、また戦いに出る。
原始狩猟社会のお父さんのように。
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HAWAIIAN HOUSEは、
既製を壊すことから始まる


さて、現実にハワイアンハウスをデザインする
わけであるが、それは既存の生活観、
先入観をひっくり返すことでもある。
ハワイアンハウスは多くの要素を内包するが、
ここで、デザインへのいわば助走として、
そのエッセンスふたつを解説しよう。
"DOMA"と"TREE HOUSE"である。
たとえば、玄関がない(あるいは
玄関がリビングでもある)家

■玄関の存在を、我々は疑いもしないが、それは本当に必要不可欠なものだろうか?
家人にとっても、客にとっても、玄関はそこに留まることを許さない。客は、用件を終えれば、帰るか、どうぞどうぞと(上がりたくない場合でも)奥に通されるしかない。
もっと言えば、家のエントランスを、いわゆる玄関のように、OPEN、CLOSE、デジタル的スイッチにしたくない。外の余韻が残る、戸外でも屋内でもない(でもある)空間にしたい。
スケッチは、玄関、ラウンジ、リビングの3機能を持つ空間である。決まったドアはなく、内部に向かって広く開かれ、暖炉や、掘りごたつならぬ円形掘りソファ(スケッチ参照。通常のソファのように空間の使い勝手を限定せず、着座位置により眺望が変わる)を設けるなど、人が集い、くつろげるスペースにする。
このエントランスは防犯性も高い。いつも人の気配がし、夜も暖炉の熾火が揺らめき、泥棒がそこを破れない「結界」となる。
昔の農家の土間にやや似ている。堀りたてのジャガイモを手みやげに訪れた友人が農作業の長靴を脱がず、敷台に腰掛けしばらく話し込んでゆくような。
この空間を仮に"DOMA"と名付けておこう。
▼"DOMA"は屋内と戸外をグラデでつなぐインターフェイスである。客にとってここはフォーマルな「訪問」ではなく気を使わない。夏、家の前に出された長椅子で涼み、世間話をして帰るような。家人はそこに客をくつろがせておき、奥で家事を片づけたり
ツリーハウスがもたらす非・日常的生活

■玄関も一例だが、われわれは家について、あらゆる先入観に、こてこてに塗り込められている。その最たるものは、家は休むところ、というものだろう。メシ食って風呂入って酒飲んで寝る場所。なぜ家が、家に帰ることが、旅に出るような、釣りに行くようなアミューズメントであってはならないのだろう?
ツリーハウスは別荘であり秘密基地でありリゾートである。その高さにより風通し、日当たり、眺望が良く、階層と機能のシンクロなど、意外に実用性も高い。
このツリーハウスの精神性と機能をハワイアンハウスに応用してみよう。


コンセプトとしては面白いけど、
現実的じゃないだろうって? ▼

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いつもは露天、雨が降れば天幕を架ける
“コンバーチブルリビング" 
海辺のサマーハウス

■雨の夜、あえて寝室の窓を開け放ち、いつものベッドで、しかし寝袋にくるまって、雨音を聴きながら眠るやつがいる。森の中の、優しい下草の、天幕のなかで眠っているようで、夢見もいいそうだ。それは彼が変人だからではなくて、誰もが感じる気持ちよさだと思う。少なくとも古い脳はそう感じるだろう。
2例のハワイアンハウスを考えてみた。デザインの前提として、海辺と都心、立地が異なる。両者とも、前述の"DOMA"、"TREE HOUSE"、"CONVERTIBLE LIVING"の3コンセプトが活かされている。
[PLAN A]は、西伊豆や南房あたりのビーチフロントに建てるサマーハウスをイメージした。このロケーションでもっとも気持ちいいのは、海風、陽光、潮の香りだ。ならば屋根も壁もない方が良い。いわば“OPEN" HAWAIIAN HOUSE である。
スケッチを見て欲しい。半地下室と寝室の左の母屋と、奥のスタディルーム、右のバスルームに挟まれた広いウッドデッキには屋根も壁もない。ここはLDK、住宅のパブリックスペース。食事は毎食バーベキュー(笑)。大気のなかでもっとも長い時間を過ごす。
ここは家の一部だが屋内ではない。ウッドデッキ正面の階段がこの家のエントランスだが玄関はない。
ウッドデッキはつまり、玄関、ラウンジ、リビングの3機能を持つ先述の"DOMA"である。
雨が降れば収納式の天幕を架け、風が冷たければ博多中州の屋台のように、半透明のビニールシェードを架ければいい。夜、外から見ると、中の灯りが暖かいだろう。いわばソフトトップのコンバーチブルリビングだ。
プライベートな寝室は外部から遮断された2階、母屋から階段を下りてコンバーチブルリビング、階段を上がって海を望むバスルーム。パブリックスペース(=コンバーチブルリビング)は低い位置に、プライベートスペースは高い位置に置き、とくに目隠ししなくても視線をガードする。階層と機能がリンクした"TREE HOUSE"コンセプトである。
この家はサマーハウスとして考えたが、冬暖かければもちろん通年住まうことができる。
それもリゾートでキャンプするように。
この家が1500万で建つ。ホントだよ。


いわば(空まで)吹き抜けのLDK

■コンバーチブルリビングは海に向かって開いているが、3つの屋根が葺かれたプライベート棟に取り囲まれている。これらは擁壁的に、外部からの視線を防ぐ機能も果たす。平面的に見ると、コンバーチブルリビングは一般の吹き抜けLDKと言えるが。それは空まで吹き抜けている。(※コンバーチブルリビングには収納式天幕が架かりますが、スケッチでは割愛しています)

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寝室も風呂もホリゾントには全開放

■ベッドルームはLDKに、バス&バニティルームは海に向かって全開放する。
コンバーチブルリビングは水平にも鉛直にも全開放だが、屋根がかかったプライベートスペースも水平には全開放されるわけだ。しかしスタディルームは別だ。海も見えない。集中して読書したりPCに向かうとき、海が見えるという機能は必要ない。たとえビーチハウスでも。
階層と機能がリンクした"TREE HOUSE"

■ハワイアンハウスの重要テーマに「食の復権」がある。この家には半地下室があるが、夏涼しく冬暖かいここは食材庫としたい。お金持ちなら金庫を置くだろうが、木箱入りのリンゴや、漬け物石が乗ったぬか漬けや、良質の玄米などをストックしたい。
バス&バニティルームは外部やLDKからの視線を遮り、同時に入浴者は開豁な眺望を得ることができる。
水平線入浴の気持ちよさ

■いま一度、断面図を参照。その高さゆえ、ビーチを歩く人にはバス&バニティルーム内部が見えない。イコール、入浴者からも彼らが見えないということだ。窓外に広がるのはただ海原。湯につかると、湯面と水平線が一致するだろう。その爽快といったら。

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“空"以外の外部を閉じ、
“火と土"を持つ都心の
ドールハウス


■南青山の幹線道路沿いに、いやそんなにおしゃれな場所じゃなくても、東池袋や西葛西の環八沿いとか、とにかくクルマが激しく往来して、ビルや住宅が密集しているところに敷地があって、そこにしか住めないとする。自分なら、そこにどんな家を建てるだろう。
[PLAN B]はそこから発想していった。
まず、四方に壁を建て、環境から遮蔽しようと考えた。
"CLOSED" HAWAIIAN HOUSEである。
でも「空」は下さいね、と。
「空」だけではなく「土」、さらに「火」も求めた。四方を壁に囲まれた「空抜き」のパティオを畑にして、野菜を自給する。冷蔵庫ではない、生きた食品庫だ。都心の限られた土地では、品種、量とも自給は難しいだろう。イタリアンに使うバジルの、和食に使う大葉の、一葉でいいのだ。都市生活者は、食の全てを「商品」に頼っている。しかし自分が口にするものを、家の中で自ら育てる。その状況を尊重したい。行為の価値は、小さくはないだろう。この意味でこの畑は、箱庭的な「祭壇」であるとも言える。
畑には"TAKIBI"場を設ける。祭壇の火だ。冬は暖炉、夏はキャンプファイヤ、星空を見上げつつ、竹串に刺した魚を炙ることもできる。
畑の左右には外キッチンと内DKを配する。スケッチ左の外キッチンは畑仕事の道具を収納し、収穫した野菜を洗ったり、トウモロコシを干したりするスペース。
右のDKは屋根の下だが、日が差す畑を見ながら料理し食事することができる。外キッチンのコンロは"TAKIBI"だから、内キッチンはオール電化でIT調理家電が揃っていたりすると面白い。
"TAKIBI"で炙った方が旨い食材も、後者で調理した方が旨いそれもある。
この家の魅力は、壁の外は都心の喧噪、壁の内側は「土と火と空」の原始生活、その劇場性にある。
雨の日にはむしろ劇場性が高まる。空中バス&バニティルームの天井は雨水を溜めるアクリル製の水盤にしたい。ゆらゆら揺れるその透過光と雨滴のダンス。さらには畑の上の天幕に落ちる雨音が優しく、家中に響くだろう。ポツポツトトト、それはこの上ない子守歌になる。

"TREE HOUSE"+"DOLL HOUSE"+
"DOMA"+"CONVERTIBLE LIVING"

■敷地有効利用のため、ドールハウスの様に、三方の壁に、バス&バニティー、LDK、BR、階段の「パーツ」が掛けられる。バスルームは高い位置に設置されるため、目隠しせずとも視線から守られる。この家には、都心立地のセキュリティ上、門扉はあるのだが、"DOMA"、"TREE HOUSE"および"CONVERTIBLE LIVING"コンセプトが活かされていることはお分かりだろう。

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都心の超私的リゾート

■ハワイアンハウスは、環境(与えられた立地)と戦い、そこをリゾートにする手段でもある。コンクリートと喧噪の都心、しかし門扉を開けるとそこは火と土と空のリゾート。
空以外の外は見えない(見せない)

■バス&バニティーは"TREE HOUSE"コンセプトにより高い位置にあるが、ここからも屋根の緑と空しか見えない。都心の自宅で露天風呂を楽しめる。都市の喧噪が聞こえてくるだろうがそれも異空間的で面白いだろう。
ルーフトップは原生花園

■内LDK(ちなみに外LDKは畑と"TAKIBI")とBRの屋根は緑化する。
芝でもいいが、季節になると花が咲く、オホーツクの原生花園のような植生だと尚良い。灌漑は雨とバス&バニティー屋根の水盤で。この緑化は、断熱性と、家内部の景観と自然レベルの向上に供する。

むしろ真冬が楽しい、
滝本アーキテクト邸
"CONVERTIBLE LIVING"


■真冬にオープンカーに乗っている人を見ると、寒そうで、やせ我慢してるように見えるでしょ。僕自身クルマ好きで、ポルシェのスピードスターに乗ってるんですが、実はあれ、意外に暖かくて快適なんです。車内には風が入らず、ヒーターが利いてるから、真冬の雪の露天風呂に肩まで浸かってるようなものでね。
英国の高級車、ロールスやベントレーにもコンバーチブル仕様がありましてね、下手すると1000万以上高いんです。連中はオープンになんかしないんですけど、コンバーチブルに乗ってるというステイタスのために1000万余計に払ってる。コンバーチブルは上質で貴族的だと彼らは知ってるわけです。
クルマの話しをすると長くなって……そう、コンバーチブルリビング。
庭──外気と接する住宅の開放部分──は想像以上に重要なものです。庭のない家というのは、スーツを新調したけれど靴を忘れた、それくらいの欠落なんです。
さらに家は、外部と内部をデジタルスイッチ的に分かつ──マンションはそうなりがちですが──のではなく、外部から進むといつのまにかリビング、リビングを出るといつのまにか外、というように、屋内と戸外が──スイッチで切り替わるのではなく──グラデーションでつながるのが心地よいと思います。
そうではない、最近の高層マンションのような高気密高断熱・24時間空調強制換気、それもある意味快適だけど、季節が変わったときの風も、雨の気配も感じられない。ヒトにとって重要な感覚を退化させられてしまう感じがします。
家には、大気と直接つながっている部分が必要だと僕は思います。庭、あるいは家屋内屋外ですね。〈行替え〉
今回のハワイアンハウス企画ではそれを"DOMA"+"CONVERTIBLE LIVING"コンセプトとしてプレゼンしたわけです。
僕にデザインをオーダーしていだければ問題は一挙に解決しますが(笑)、実際には都市部の狭い敷地で、庭とか家屋内屋外的スペースを取るのは難しい。
可能性があるのは、ルーフバルコニー、いわゆるスカイリビングですね。僕の家にもそれがあり、家にいるときはいちばん長い時間をここで過ごします。
本を読んだり、ビールを飲んだり、うたた寝したり……。でも、暖かい季節の、晴れた日しか心地よくないのでは意味がない。自宅なんだから、24時間365日寛げないと。だから「コンバーチブル」にしたわけです。
雨が降ればファブリックのソフトな屋根を出して雨音を楽しむ。
冬には、博多中州の屋台のように、ビニールのウインドシェードで囲っちゃう。ちょっと着込んで、石油ストーブ持ち込んで、七輪で干物炙って日本酒飲んだり、家族で鍋を囲んだりね。中の湿気でシェードが曇って行灯のようなソフトな光になって。
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暖かいですよぉ、毛布なんか持ち込むとうとうとしちゃう。しんしんと冷え込む雪の夜など最高ですね。5月の晴れた昼下がりも捨てがたいけど。

リビングも、ハードトップより
ソフトトップがいい

■クルマのコンバーチブルにはソフトトップとハードトップがありますが、ハードトップはオープンとクローズドルーフの両方欲しいという考え方でね、僕に言わせればちょっとさもしい(笑)。それに、屋根があるか無いか、デジタルスイッチ的で、グラデーション(本文参照)が無いんです。クルマもリビングもソフトトップに限る。キャンバスルーフに落ちる雨音、風の揺らめきを感じてね。ウインドシェードで囲っても微妙にすきま風が入るから、七輪を持ち込んでも一酸化炭素中毒のおそれもありませんし(笑)。

"HAWAIIAN HOUSE"は、
21世紀の住まいと生活の指針なの


■今回、バイザシー誌にいただいた「ハワイアンハウス」というテーマをかたちにするうえで──どうせなら住宅、さらに生活についての新しい価値を提示するものにという遠大な目標を立てたのがいけなかったのですが(笑)──深く考えさせられました。
その具体についてはここまで読了された読者諸賢に繰り返すことはしませんが、ここに至った思考過程の一部を述べたいと思います。
バーチャルとリアル、それにデトックス(脳内浄化)がその核でした。

人生の目的とは──と大きく出ますが──僕は、ジコジツゲンではなく「体験」を重ねることだと思います。
生まれて初めて恋をした。
波に乗った。
未知の味覚に出会った。
子供を産んだ……。
しかし体験は難しいのです。脳は多忙なので2度目は知覚をバイパスしてしまうし、未知の感覚入力があっても、自分が開かれてないと、そうとは気づきません。
脳内浄化のチャンスがもたらされても、それを受け容れられる状態でないと、浄化は望めないのです。
私たちは日々リアルに生きていると思っていますが、都市生活者の生活の大半はルーティンで、「閉じ」て、「体験」が無いという意味でバーチャルです。よどむ水は腐るように、「体験」に欠けた生活は脳に汚染物質を貯めます。家もルーティンの一部ですが、だからこそそこに帰るたび、リアルを取り戻し、浄化されるような、そういう家は実現できないか、と考えたわけです。

たとえば玄関。
私たちはその存在を疑いもしませんが、玄関ってなんだろう?
いちにち10時間家にいるとして、玄関には1分もいないのではないか。
家人にとっては単なる出入り口である一方で、玄関は来訪者を(外部を)選別し、シャットアウトする、出会いを拒む、つまりルーティンを補強する装置なのです。
今回プレゼンした"DOMA"(page14など)は従来の玄関に対するアンチテーゼです。それは内部と外部をデジタルスイッチ的に分かつのではなく、両者を融かし、混ぜ、グラデーション的に出会わせます。
外に対して開かれ、未知の感覚入力ウエルカムで、「リアル」と出会い、浄化されるチャンスをもたらします。
それは一例。
20世紀は浪費と消耗の──とまた大きく出ますが──世紀でした。石油や森林など自然資源の浪費と、戦争による人身の、人心の消耗です。
そして21世紀は、そのツケを払い、癒す世紀になるではないでしょうか。
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僕ら建築家は、住宅(生活)を変える力を持つのですから──環境負荷の小さい建材や施工法を選ぶといった狭義の意味だけではなく──その一翼を担わねばならないでしょう。
「ハワイアンハウス」コンセプトには、少なくともそのヒントが含まれているのではと自負しています。

実を言うと、今回の考察とプレゼンは、とても楽しい作業でした。建築家として20年、いろいろなタイプの仕事をこなしてきましたが、自分が潜在的に持っていたものが次々明らかになっていったからです。
「そうか、おれはこれをやりたかったのか!」といったふうに。
ひとつの体系ができてしまったのです。
今回のプレゼンはその一部に過ぎません。近い将来、たとえば一冊の本というかたちで、その体系を紹介できると思います。
その本と、あなたが「出会う」ことを願って。
2006年10月 滝本学