葉山のゲージツ的生活者・佐久間浩さん
だからここは別荘じゃ
なくて小屋なンだよ。海の
遊び小屋。食う、寝る、遊ぶ、
そういう日常の一部さ。
■ 人間の不幸はおよそ、相対性による。
どんなに年収が高くても、もっと高い人はいるし、どんな美人の奥様がいても、もっと美人の奥様はいる。相対性には出口がない。どんなに美しく、才能にあふれて、裕福であっても、相対性にとらわれた人はあまり魅力的ではない。夢や理想を語る人はいっけん清々しいが、じつは相対性の海でもがいてるに過ぎないことが少なくないものだ。
ロビー・ナッシュや、レアード・ハミルトンを取材して感じることは、かれらが、何らかの絶対性を獲得していることだ。かれらは、誰かより優れているから魅力的なのではなく、ロビーであり、レアードであることがチャーミングなのだ。
絶対性を得ている人は、サーフチャンピオンに限らず、市井にもいる。彼らは、夢や理想ではなく、「生活」を実現している。
JR横須賀線逗子駅前の不動産店主、佐久間浩さんもそんな一人である。
(そして、60ページからの、材木座の三木さんや大磯の坂田さんも)
佐久間さんは、昭和29年、葉山に生まれ、この地で育った、生粋の葉山っ子である。
葉山が素敵なのは、きれいな海と、山があり、町は鄙びて、昭和の匂いを今なお残しているところだ。
少年時代は、小学校の先生が、潜り方や山芋の堀り方を教えてくれた。先生も偉い。教科書よりも自然のなかに、学ぶべきものがあることを知っていた。
「昭和27年から10年ほど、親が、森戸で海の家をやってたんですよ。当時はすごい賑わいでね。飛び込み台がふたつあって、夕方、友だちと潜ると、100円、50円硬貨がけっこう拾えて。元町の駄菓子屋で豪遊するんだけど、そこの親父に怪しまれてね(笑) 西岸良平先生の『三丁目の夕日』のファンなんですよ。あのころの葉山そのものだから」
そして、夕日の逆光でシルエットをくっきり顕わにする富士山を見ながら帰途につく。子供の遊び場として、これほど贅沢な場所があるだろうか。
佐久間さんはそのように、葉山の海に抱かれて成長し、父の不動産店を継いだ。
不動産業者としての氏は、知る人ぞ知る存在である。
「海が見える物件」専門で、この分野では湘南で右に出る者がない。本来の客に留まらず、テレビや雑誌の人もロケハンの相談に通うらしい。
ところがこの店主、気に入った客にしか物件を世話しないという噂がある。真偽を聞くと、
「いやぁ」としばらく自答するふうに考え、
「知ったかぶりするお客さんはねぇ、じゃあ自分で探せば、と思うよね」
客を選ぶという噂は──やや誇張されているきらいはあるものの──本当だった(!)
海の見える物件に特化した理由は「自分が好きな物件だし、そのほうが、仕事も楽しいから」
物件探索は、航空写真であたりをつけることから始まる。次いで海の上から観察し、上陸し、物件まで歩く。
暇があれば歩いていい物件を探し、チャイムを押して名刺を置いてゆく。そのときは売ってくれなくても、5年後10年後に話しがまとまることもある。
佐久間さんは、売買や賃貸の仲介だけではなく、物件そのもののプロデュースもし、集合住宅やバーなどの実績がある。建築士ではないが、建築のアイデアも提出する。肉筆で描くパースは、CADの3DCGなどよりずっとイメージが伝わると好評だ。 |
「僕はある意味、夢を売ってると思ってる」
「家って、1/1スケールの究極の模型じゃない」
ならば夢の模型を作ればいい。夢を見ながら夢とは遠い現状に甘んじることはない。
そうは言っても、と言いたいところだが、氏は実際に、夢の模型を建てている。それも自分の手でこつこつと。
まず写真を見て欲しい。氏の「海の遊び小屋」である。
初めてこの土地を見たときは道路脇のただの土手だった。私有地であることを知り、地権者を拝み倒して譲ってもらった。それが86年のことである。最初に建てたのは葦簀(よしず)張りの、海の家ふうの小屋で、海水浴客がよく間違えて入ってきた。男は追い返したが、女性なら「ま、ゆっくりしてゆきなよ」と歓待したとか。
そこで飲む酒は最高だった。砂浜から直接立ちあがる石積みの提の上だから、目前には海以外の何もない。手前に名島、その奥に江ノ島、そして富士。
冬でも使えるようにと、友人たちとこつこつ板張りの小屋を建て始め、現在の「北棟」が完成した。
室内には、酒瓶や工具や資材や、氏自作の、作風に統一性がないオブジェが雑然と置かれ、どこにも畏まったところがなく、窓外の海のせいばかりではなく、いつまでも座り、とろとろと、少しづつ酔いたくなるような、人間の生理を優しく抱いてくれるというか、そういう本質的な居心地の良さがある。
板張りのパティオ──例によって建材やバーベキューの跡がそのまま放置されている──を挟んで「南棟」。
これも佐久間さんと仲間で建てた。築一年になる。
(26-27ページの扉写真もこの南棟である)。
ワンルームで畳敷き。手あぶり火鉢に煙草盆、骨董箪笥。これらをみれば茶庵風だが、もちろんそう単純ではない。天井にはサーフボードラック、壁には船舶用の真鍮の舷窓、海に面したステンドグラス、ベランダの木彫り装飾(こういう細部も全て氏の手製)、雑然と積まれた寝袋や布団は飯場風、と部分部分はカオスなのだが、ある種の落ち着きがあって居心地が良く、冷静に考えると、こうまとめるのはすごいセンスが必要であることが分かる。
何よりこれが築一年であることだ。おじいちゃんの湯飲みのように、30年40年と使い込まれているように見えるのに。
火鉢や箪笥の道具立ては古いものを持ってくればいい。
(職業柄、鎌倉の古民家取り壊しなどに立ち会うことがあり、不要となったそれらを引き取るなど)
問題は壁や建具だ。素材や塗料をいちいち吟味しないとこうはゆかない。
気が向けば友人に声をかける。友人たちは好みの酒を提げてやってくる。パティオで、潮風に吹かれつつ、葉山の貝や魚を焼く。
とはいえバーベキューにこだわってるわけではなく、酔って料理する気がなくなったら、店屋物を取る。鮨屋のチラシやらが適当に画鋲でぶすっとそこらに止めてある。酔いつぶれれば、南棟で雑魚寝。徹底的に、肩のちからが抜けている。
佐久間さんは、ここでふたりの息子を育てた。
ここは、海の遊びの道具庫でもあり、北棟の天井には、二組の、小さな水上スキー板が飾ってある。息子たちが幼い頃、一階のスロープからボートを出して、葉山の海で遊ばせたのだ。かつて自分が遊んだように。
長男の洋之介君はプロサーファーになり、世界中を旅している。弟の泰介君もプロを目指し、メキシコでホームステイしている。洋之介君は最近、仲間たちのライディングを撮影し、編集し、音楽をつけて、"DANCING ON THE WHAT"という、サーフィンとスケートのDVDを作った。ジャケットは、パパ、佐久間さんが描く。素敵なコラボレーションだ。
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それにしても、この葉山のビーチハウスの、機能を言う言葉がない。
自宅から歩ける距離だから、別荘ではない。
別荘というと、たまにしか行かないのものだから掃除になり、それが苦痛で行かなくなるという、笑えぬ笑い話があるが、ここは日常的に使い込まれ、その対極にある。
「だから小屋だよ」
と、佐久間さんは言う。
海の遊び小屋。食う、寝る、遊ぶ、そういう日常の一部だよ。
昭和30年代の男の子は、友だちと、材木置き場に秘密基地を作って遊んだ。あれに似てるかも知れないな、と、佐久間さんの答えを聞きながらふと思った。
この「小屋」が作品の最たるものだが、佐久間さんはゲージツ家である。徹底的に自分のために創作して、悪い意味でプロっぽくないから、芸術家ではなく、
ゲージツ家なのだ。
小屋のなかには、マッチ棒の軸や、ビーチグラスを利用したランプシェードなどのゲージツ作品がごろごろと転がっている。作風に一貫性がないところがまたゲージツっぽい。
佐久間さんは最近、絵を描き始めた。
28-29ページはその最新作品、「夢に出てきた大崎(仮題)」だ。ある人は彼の作品を「登場する人物全員が幸福な」絵、と評した。
葉山で生まれ育ったにしては、波乗りを始めたのは遅かった。20代の半ばまでモトクロスに凝っていて、三浦の山中を走っていたからだ。
サーフィンを始めてからは夢中になったが、最近は仕事が忙しく、前ほど海に出られなくなった、海に出る時間が減った。すると夢想の密度が濃くなった。
佐久間さんの脳は、バーチャルなサーフィンで代償しようとしたのだ。夢想はその張力を増し、頭蓋骨からあふれ出して、こういう絵となった。要するに佐久間さんの頭の中は、この絵のようなことになっている。
一作描き上げるのに、仕事もあるから20日くらいかかる。海に出られない日が続くと、絵を描きたくてたまらなくなる。そのように仕上がった絵が、現在20作ほどある。
………えーと、なんの話しをしてたんだっけ?
そうそう、相対性がどーの。それはもういいだろう、ここまで読まれたあなたは、佐久間さんが、「生活」を実現していることを、お分かりになられたろうから。 |