……………… Paia town located northshore maui 1985 ………………

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月明かりの夜、パイアにスコールが降ると、
月のまわりにぼんやり淡い、虹が架かるんだよ。
────ナガタストアのおっちゃん


■ちょうど百年前、明治17年に、パイアに日本人移民が
初めて入植した。広大なサトウキビプランテーンョンを
維持するために、世界中から入植者が集められ、
そのキャンプとなったパイアは隆盛を極めた。
しかし、1923年の大火や、60年代初期のプランテーション
移転を契機としてパイアは衰退してゆき、ただ貿易風が
吹きぬけるだけのゴーストタウンと化した。
60年代後半、ヒッピーたちはそんなパイアを愛し、町を
彼らの文化で塗り変えていった。
そしていま、パイアは、ウインドサーフィングによって、
変わろうとしている。

初めてパイアを通りがかったとき、見たことのない町なのに
懐かしい気持ちがした。パイアの、少し湿った空気が語り
かけてきたような気がした。
せっかく生まれてきたんだからといって、何かをやらなきゃ
いけないわけじゃない。
ただ、風のように生きてりゃいいんだ。
ハナへ旅する者にとって、パイアは最後の町になる。
町といっても、ハナハイウェイに沿って建つ店舗は数え
られる程しかない。街の半ばで交差するパルドウィンを
右折すると、アップカントリーへ登る道となる。

「昔はここに、プリンセステラという大きな劇場があって、
まだ子供の頃の美空ひばりも釆たもんじゃ」
ある日系の老人は言う。
「ホキパの大波は、わしらにとつて近より難いもん
じゃったけどなあ」
町に、また活気が戻ってきた。春と秋の大会シーズンには、
ハワイアンアクセントの英語だけじゃなく、フランス語や
日本語も街角にあふれる。
ブルース・ワイリーは、銀行の隣にある郵便局から本国へ
フィンや小物を送るのに余念がなく、日本のライダーたちも
宿探しの相談にナガタストアにやって来る。
マイクやアレックスやクレイグはメインランドから移住した。
マルタとクラウスのシマ一兄弟はドイツ人だけどパイアに
住みついている。
皆な、パイアに土地を買うことを夢みている。
"ラハイナタイムズ"というマウイのローカル紙があり、
パイアの特集を組んだことがある。その社説は言う。
フランス料理屋と日本料理屋と、ホテルを建てて外貨を
もっと獲得すべきだ。 
しかし、進んで迎合しよう上する者は町にいない。
ヨーロッパ人のなかには、ここに永住したいがために、
ロコの娘に一万ドル払って擬装結婚を謀る者もあるという。
町は応えない。
いつものように受け身で、ただそこに在るだけである。


TOKO註
1985年、この仕事を始めた。あのころのわしは、
オモロイと思った次の瞬間、取材を始めていた。

サーフィンにおける、オアフ・ノースショアの
ハレイワのように、パイアは、マウイ・ノースショアの
"Windsurfing Town" である。
その街角で、ヒッピーっぽい男がスケッチしていた。
覗くと、なかなか素敵な水彩である。一枚200ドルで
売って、生計を立てているという。
雑誌に載せたいから複写させてくれ、と頼み──
なんだこのあんちゃん、と警戒されたが──この
記事をつくった。扉のイラストがそれである。
かれはエディー・フロッティーといい、その後自身
の画廊を持った。
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