TOKO付記:
■ 何の経験もなかったのに、なりゆきでいきなりフリーのライターになり、毎月20ページ30ページと製作を任された。 最初は不安だった。こんどはなにも書けないのではないか、ページに穴を開けるのではないか……。 乃木坂に住んでいて、不安に駆られると、赤坂や旧防衛庁あたりをうろうろ散歩するのが常だった。 |
このロビーの記事はキャリアちょうど1年時点での製作である。この記事で、わしはなんとかやっていけるのではないかと自信を得た。 原稿だけではなく、ロビーの少年時代の写真に、現在の原寸大の右手を対向させ、手相見のコメントをつけるなど、ユニークな構成が、12ページにわたって成せた、つまり記事のグラウンドデザインが引けたからである。 この世界王者コーナーの3例がそうだが、 |
以降、これらいわば饒舌的編集、がわしのひとつのスタイルとなった。 要は、神秘ではなく、どれくらい考えたか、ということなんだと思う。 赤坂乃木坂をうろうろ散歩していたとき、わしは製作から逃げているようで、罪悪を感じていたのだが、じつは頭の奥で、必死に考えていたのだった。そのことに気づくのに、それからさらに20年を要した。 |