……………… "ノーマン・ロックウェル ハウス"を額に汗して年10棟。──西ノ宮潔の挑戦、成否やいかに? ………………

bio_07-1.jpg■茅ヶ崎のモデルハウス、そのバックヤード面。原則3種から選べるアーリーアメリカン建築様式からこれは"VICTORIA"
bio_07-2.jpg■西ノ宮が個人所有する、60年型ナッシュ・メトロポリタン。ヒストリックカーラリーにも出場する
bio_07-3.jpg■水性白ペンキ塗りが多用される。漆喰等と違ってDIY性がたかく、白に白を重ねて味がでる
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住宅にキャラクターマーチャンダイジング?
保守的な業界だから奇異に響くが、
それは単に冠イメージ戦略ではなく、
ユニークな商品性と、生活観の提案をともない、
中小ハウスビルダーの ブランディング→サバイブの、一手法としても注目される。
その第一棟、着工。


生家は茅ヶ崎の海っぺたで、駆けると海岸線まで1分とかからず、玄関先から烏帽子岩が見えた。
3軒隣が桑田佳祐くん家。ひとつ年上の佳祐くんと連れだって銭湯にいったり初恋の女の子を取り合ったりした、というのはまるっきりの嘘ではないが、西ノ宮が脚色過多に周囲にかたった自慢話、多少のつきあいはあった。
桑田氏のデビュー曲に「砂まじりの茅ヶ崎」というフレーズがあるが、西ノ宮も砂まじりの茅ヶ崎で、波乗りしたり加山雄三を口ずさんだり多感な季節を送った。
脚本家を目指し日本大学芸術学部映画学科に。前略おふくろ様、傷だらけの天使……、倉本聰や市川森一が名作を発表していた。
西ノ宮も大学在学中からゼミ教授の紹介でTBS系「世界の子どもたち」という番組のナレーション原稿を書き、月111111円のギャラ(源泉引かれ10万ちょうどになる)を得ていた。
「放送作家っていうんだよ」
卒業後その方向に進もうと思うんだ、と相談すると教職でカタい両親は頑として反対した。
公務員になれ、
それに、と両親は続けるのだった。
「同じ町内からふたりの有名人はでないもんだよ」
桑田氏はすでにデビュー、スターになっていた。

大学ではスキー部で、冬はずっと雪山に籠もっていた。
あれは4年生の彼岸だったか、雪山を下りると茅ヶ崎は爛漫の春だった。
駅ひとつしかない町なので、しばしばそういうことがあるのだが、小中高と同級生だった女子にばったり出会った。かわいくて、当時から多少意識していないでもなかったが、くらくらした。
大学生になってあかぬけたていたこともあったが、雪山での禁欲生活、あたりいちめんにただよっていた沈丁花の香りが脳の深部をくすぐったのかも知れなかった。
西ノ宮、記憶が混濁しているが、出会った直後いったような気が、
「ところで、つきあってるやついるの?おれ、いないんだけどさ」
ほんとは共立女子大のGFがいた。
フェリスの彼女は首を横に振った。
プロパンガス店の娘だった。
その父がやり手で、本業で地元茅ヶ崎に密着、得た信頼によって、不動産開発、住宅建設と事業を広げた、実業家だった。
茅ヶ崎駅前でいつものようにデートしていると、彼女がビル工事現場を指し、いった。そこ、うちがやってるの。
シートをめくると記されていた。
Nビル(仮称)新築工事。
自社ビルだった。
それで結婚を決めた。もとい、決意のひとつの材料になった。
結婚にはひとつ条件──婿養子入り──があった。
西ノ宮は一人っ子だった。かれの両親はしかし、むしろ賛成した。資産のある家に婿入りするほうがラクだと。
西ノ宮はいまも、「我」よりも、息子の幸福を優先させた、両親の愛と痛みを忘れない。
大学を終えた西ノ宮、放送作家はあきらめ、義父の(株)ニシノミヤに入社した。
ジンセイ、そう順風にゆくものではない。義父との折り合いが悪かった。事業家としては尊敬せざるをえないからよけい始末が悪い。正面から喧嘩することはないまでも、互いに顔を見るのも厭、客商売に髭など論外などと身だしなみまで厳しくいわれ、仕事はスパルタ、満タンだと1本100kgのプロパンボンベを運ぶ日々……。
7年耐えたが、ついに「家出」した。30歳になっていた。
知人が運営する広告代理事務所に、頼み込んで机を置かせてもらったが、仕事のあてはない。プロデューサーという看板を先付けで掲げた。
バブル前夜という時代性、資質もあったのだろう。ほどなくテレビ番組の企画、スポーツイベントの誘致などをこなすようになった。
セサミストリートの日本での版権を持つ会社から、SONYにキャラクター商品を提案したいが相手がでかすぎて……、と相談されたことがあった。
西ノ宮は、セサミストリートがNHKで英語教育番組になっていること、小学校からのパソコン教育の義務化、フロッピーディスクという「接点」を見つけ、商品化を実現した。
30代なかばには自分の会社を持ち、「通る企画を書く」という評判も得つつあり、この世界でなんとかやっていけるかと思えてきた。
──その矢先、
「100回土下座すれば父も許してくれるから」
ニシノミヤに戻って、と妻から決死の願い。相続がらみのある切迫した事情があり、ストレスで胃潰瘍までつくった妻の目をみれば、頷くしかなかった。

中小のハウスビルダーが生き残るのは至難のわざである。
ネームバリューのある大手と、無名な 中小の二択では、施主は一般に100%、大手を選ぶ。家を建てるという大事業で、冒険をするものはいない。
中小ビルダーが唯一無二の施工技術やデザイン力を持っていたとしても例外ではない。それらを広報、認知させるにはコストがかかるし、認知されたとしても「ブランド」という信用がなければ販売にはつながりにくい。
いきおい、中小ビルダーの多くは大手の下請けに甘んじ、コストを叩かれ、疲弊してゆくのが常なのである。

要は差別化、ブランディングである。
至った結論が、
"ザ ノーマン・ロックウェル ハウス"だった


(株)ニシノミヤの先代──02年に逝去──は、中小のハウスビルダーとして、理想的なサバイブ戦略をとった。
プロパンガス業者として得た、茅ヶ崎の一等地に住む顧客が、相続税として物納する農地などを、戦略的に──法の制限や借入金利を抑える方法で──買い集め、場合によっては20年30年と寝かせ、まとめ、道路をつけて宅地化し、「建築条件付で」分譲し、「自社で」住宅建築を請ける。
これ以上の方法があろうか。
先代の「遺産」はまだ残っている。
が、土地はいずれ売り切れ、茅ヶ崎の一等地という商品はもう発生しない。
寒川や秦野や郊外にゆけば土地は仕入れられるが、売れず、金利ばかりを負担しつづけることになりかねない。
(株)ニシノミヤの営業種目はいまも、プロパンガス、不動産開発、住宅建築だが、上記の意味で、
「二代目」の双肩にかかる課題は、家を建てて売ること、ハウスビルダーとしてのサバイブなのである。
要は差別化、ブランディングである。そこで断熱性や耐震性をいって「物量」の勝負に持ちこんでは、上には上がおり、大手には敵わない。
ヘルシーな生活を実現する家、などといいたいが、具体的なコンテンツがないと響かない。
西ノ宮も、自らのブランディングを実現しようと格闘したが、コストも時間も嵩み、至難。たどりついた結論が、
"ザ ノーマン・ロックウェル ハウス"だった。保守的な住宅業界にあっては異質だが、キャラクター・マーチャンダイジングはもともと西ノ宮の専門である。ただの思いつきではない。
ノーマン・ロックウェル(1894-1978)は、古き佳きアメリカの、暮らしを描いた画家である。生活って、こんなに素敵なんだよと。
西ノ宮自身、高校生のとき"AMERICAN GRAPHITY"を観て以来、50's アメリカンカルチャーに憧れ、60年型ナッシュ・メトロポリタンやハーレーを所有している。そこにある生活観と、その舞台となる住宅を、2007年の日本に問う価値はあると思った。
万人受けはしないだろう。が、何パーセントかは分からないが、きっと届くひとたちがいるはずだ。
販促のための小冊子に、西ノ宮みずから書いたコピー、そのひとつを抜粋する。
「充分に狭い朝。──ウイークデイ、冬の寒い朝、200平方メートルの家を隅々まで暖める必要はない。目覚まし時計のベルが鳴ってから、ものの一時問。家族はそれぞれの会社へ、学校へと出て行ってしまう。朝食さえ取れる場所、そんなに広い面積でなくても良い。その充分に狭い場所さえ暖まっていれば、それで良い。」
それはイメージだが、モノとしての商品性も実は(?)高い。
ツーバイフォーによる堅牢性や、内部リフォームのしやすさ、内装に水性白ペンキ塗りを多用していることによるメンテ性(DIY性)の高さ。ニシノミヤが得意とする、自然石手貼り敷設が、建築の「文脈」のなかで床や外壁に活かせること、など。
デザインおよび建材すべてを米国から輸入するのではない。コストが嵩むし法律も違い、現実的ではない。
ビクトリア、ジョージアン、ニューイングランドの、アーリーアメリカン建築様式を尊重し、米国側の監理もあるが──遺族が許諾した唯一の建築家である──西ノ宮の、解釈、美学、方針による"ザ ノーマン・ロックウェル ハウス"なのである。

契約を交わし1年余。現在は「ハウス」一棟目着工、という状況、プロジェクトの成否があきらかになるのはまだ先のはなしである。
契約後、西ノ宮はフランチャイズ化も考えていた。ライフスタイルだから、住宅だけでなく、家具や、子供服にも敷衍できる。全国制覇できるぞ、と。
ところが、プロジェクトを進めてゆくうち、
「額に汗して、年10棟」と、決意してしまった。
資金、リスク、会社や家族を守ること、51歳という年齢、そういう現実もあるけれど。
Think Grobal, Act Local.
「大きく構えて、小さく、こつこつ、緻密に、フィジカルにやる。そのほうがかっこいいかな、と」