バイザシー 2006 SURFER'S HOUSEは、「人」である。 建築家・原田隆英とその自邸 foto by TAKI■原田隆英氏は、少年時代、自分の「城」を持っていた。広島の実家が兼業農家で、高校に上がったとき、母屋と離れた牛舎の二階を自室として与えられたのだ。原田少年はその部屋を思うさま改造した。畳ベッドを自作し、土間を追加した。6頭のホルスタインの臭いが多少気になったが、木の柱と土壁、自然素材の牛舎の「触感」は心地よいものだった。 →preview バイザシー 2007 カイテキではなくヨロコビ。 下平万里夫が建築する「宇宙」 foto by M,Matsuoka■大手ゼネコンでデザイナーをしていたとき、クライアントの、スイスの5つ星ホテル支配人の、接待の席に呼び出されたことがあった。 「うちの下平もヨットをやるんですよ」と、上司が振った。 こないだのバカンスはね、と支配人、 家族で1ヶ月、地中海をクルーズして、島巡りしたよ。 ディンギーで、江ノ島で、スプレイでびしょ濡れになっている僕とは次元が違った。 →preview |
バイザシー 2008 注文住宅を越える、デザインの「解」 諸我スタンダード foto by TAKI■100余の、すべてがレアケースな注文住宅設計を通じて、逆説的に見えてきた真の普遍=スタンダード。 それを活かした「提案型(建売り)分譲住宅」を世に問う。 顧客利益を最大化、かれらの生活習慣すら改善すべく。 →preview バイザシー 2007 建築家はいかに“ONLY ONE"となったか? 大浦比呂志とその手作りの家 foto by TAKI■61年、東京は中野の生まれである。 マガジンハウスから雑誌ポパイが創刊されたのが15歳のとき。 18歳のとき映画ビッグウエンズデイが封切られ、それを契機に第2次サーフィンブームが。オキシドールで、髪もフレアのジーンズも「ブリーチアウト」し、花柄小紋のウエスタンシャツやロペスのブランドだったライトニングボルトのTシャツ、厚底のビーサンが流行、BGMはもちろんイーグルスに →preview バイザシー 2008 "ノーマン・ロックウェル ハウス"を 額に汗して年10棟。 ──西ノ宮潔の挑戦、成否やいかに? foto by TAKI■生家は茅ヶ崎の海っぺたで、駆けると海岸線まで1分とかからず、玄関先から烏帽子岩が見えた。 3軒隣が桑田佳祐くん家。ひとつ年上の佳祐くんと連れだって銭湯にいったり初恋の女の子を取り合ったりした、というのはまるっきりの嘘ではないが、西ノ宮が脚色過多に周囲にかたった自慢話、多少のつきあいはあった。 →preview |
バイザシー 2007 ハウスデザインではなく、暮らしの “シナリオライティング” by 滝本学 foto by TAKI ■「映画作りでいちばん楽しいのは、プロデューサーなんです」 と、滝本氏は話し始めた。 お金を出してるんだから、ディレクターに、もっと右とか左とか指図し、自分が望むように出来上がってゆくのを眺めていればいい。施主はプロデュサーなんです。僕はディレクターであり引き出しです。まず僕の引き出しを開けて、こんな暮らしもあるんだと、ウインドウショッピングを楽しめばいい。 →preview バイザシー 2008 千葉学と、鎌倉七里・ "風の谿"プロジェクト foto by TAKI ■「別の言い方をすればね、野球のルールのようなデザインをしたいんですよ」、と千葉氏は続けた。 野球のルール? ──そう、ルール。 いわば「閾値」だけ決めて、あとはプレイヤー、建築でいえば住人や使う人の自由に任せる。その自由度は、閾値の設計次第なんです。 →preview |