……………… 「天国で君に逢えたら」書評  2004 ………………

0005.jpgfoto by TAKI

この小説は、
技術ではなく、
気持ちの結晶。



■飯島夏樹著『天国で君に逢えたら』は特殊な小説である。これが処女作の、37歳の新人作家。しかしかれの余命は半年。
末期の肝ガン患者で、ことしの6月、主治医からその宣告を受けた。
4月の二度目の大きな外科手術、6月の余命宣告と前後して、かれはこの小説を、もうれつな勢いで書き上げた。かれにとってこの小説は、残してゆかねばならない家族──美しい妻とまだ幼い4人の子供たち──への遺言的意味も有していたからだ。
物語りの主人公は、まだ若いのに、突然のガン告知を受け、否定し、苦しみ、やがて受容し、残してゆくものたちになにかを残そうと格闘し、そして死を迎える。
もちろんフィクションの体裁を採っているが、主人公は飯島氏の分身と思える。さらにいえば、この小説はユーモラスなラヴストーリーで、ハッピーエンドである。
氏は現在、もう治療は受けていない。ハワイ・オアフ島のホスピスで痛みを緩和してもらいつつ、家族にかこまれ、続編を書いている。死の寸前まで書き続けることができれば、と。
飯島夏樹氏は、66年、八王子に生まれた。琉球大学在学中、20歳でデビューして、プロウインドサーファーになった。
PBAワールドツアーに参戦して世界各国を巡り、91-94年間はトップシード権を保持。日本人としては例外的劇的な活躍だった。






ワールドツアー転戦は、資金的、肉体的精神的に過酷で、それほど長期にわたってカバーした日本人じたい飯島氏ひとりに過ぎず、さらに結果を残したからだ。
現役引退後は、スポンサーであったJALとのコラボレーションで、グアム島ココスに、ミクロネシア最大のマリンスポーツセンターを興し、軌道に載せた。
182cm80kgの筋肉質のカラダを持ち、経営者としても成功し、愛する家族とともに、ココスのビーチフロントの、白亜の邸宅に住む彼は、そうはいない、選ばれた男に見えた。

02年の春、微熱が続き、念のためにと受けた人間ドックで、肝臓に、ソフトボール大の腫瘍が見つかった。
悪性だった。ガン告知を受け、毎月八王子に帰り、大学病院で抗ガン剤治療などを受けるようになったが、検査のたび、再発が見つかり、主治医は最終的に、生体肝移植しか可能性はないとの断を下した。
「生存」に賭けた飯島氏は、ココスの自邸をたたき売り、会社を人手に委ね、全てを捨てて帰国した。
しかし──、ほどなく絶望することになる。セカンドオピニオンを求めた国立がんセンター中央病院で、肝移植が効果的な種類のガンではないと診断されたのだ。その絶望は、氏に、重度の、不眠、うつ病、パニック障害を併発させることになった。氏をよく知るある人によれば、その状態は、
「一目見て尋常ではなかった」
ガン告知を受けてから、飯島氏は、知人に手紙を書いたり、ウインドサーファーとしてのファンや、インストラクターとしての教え子たちにメッセージを送るため、ホームページを立ち上げ、闘病にまつわる日記的雑感をアップしていた。その内容も悲観的になり、やがて書けなくなった。
それがなぜ、この短期間に、文芸的ステイタスがある出版社から出されるレベルの、小説執筆という逆転に至ったのか?
私は、選手時代の飯島氏にはよく会っていた。この7月、国立がんセンター中央病院にかれを見舞い、ほとんど10年ぶりに会って、その消息を聞いた。
「ガンや死というリアリズムに対して、日記や手紙というリアリズムの文体で立ち向かうと、どんどん落ち込んでいって読後感の悪いモノになって」「ユーモアだ、ユーモラスな小説がいい、それならば、弱者に優しく、希望があって、リアリティの奥底に入って行ける力があるのでは、と気づいて」
処女小説を書き始めたのだ、と、かれは言った。
私は、この小文の欠陥に気づいている。ここには、その精神的変容についてこそ、記すべきなのだ。bts01_heaven.pdf けれども、2時間ほどのインタビューでは、分からなかった。さらに言えば、本人にとってすら、それは謎、であったかも知れない。
けれども、答えはある。修辞技術的には不器用でごつごつしているが、ぎりぎりの、生々しい気持ちが詰まっている、この小説のなかに。