……………… 生活エリートたちの、ウインドサーフィン・エンゲル係数 2001 ………………

life-oda.jpgfoto by TAKI
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HUMAN-004

小田晴彦さん(36歳AB型)
十仁病院・美容整形外科医師

銀座のカリスマ美容整形外科医は、
朝、クランケを診たあと本栖に飛ぶ。
(註:休診日のはなしです)
美容整形は、施術前の問診が仕事の50%を占める。
病気や怪我なら治すしかない、選択の余地はないが、
美容整形はそうではない。通常の外科手術とちがって、
結果がもろに目で見て分かり、精密な手技が要求され、かつ文学的、哲学的、美的なセンスが問われるのだ。
いや、不謹慎かもしれないが面白い仕事だ。
職業が美容整形外科医で趣味がウインドサーフィン、
なんてグラマラスなライフだこと。




■ 小田医師の職場、JR山手線新橋駅の銀座口前にある十仁(じゅうじん)病院で、17時半に待ち合わせしたのだけれど、手術が長引いているとかで、小一時間待たされた。
同病院は美容整形外科の老舗で、建築も古く、内装も戦前の洋館風である。
待合室に通され、その壁には、“Before, After”の施術例が、老若男女——もちろんご本人の了承を得て——ずらりとピンナップしてある。
ある人の、20歳と40歳の写真を並べたら、それを見る者は、彼の20年間はこんなふうだったのではないかと、ストーリーを感じるはずだ。
“Before, After”にはタイムスパンは無いが、同様のストーリーを感じてしまう。
この一重まぶたが厭だったのだろうなとか、そういう単純なイメージではない。
そう悪くはないのにここをレタッチしたのは、この人のこういう性格ゆえではないか、とか、この人はこの鼻のせいでこういう種類の地獄を背負っていたのではないか、とか、ストーリーを感じてしまう。要するに面白い、え、不謹慎? 興味深いのである。

「やあやあ、またせてすみません」と現れた白衣の小田さんは、陽に灼け、敏捷そうで、体育大学の助手のようである。って言うかこの比喩には普遍性がないかも知れないけれど。とにかくさすがプレーニングする美容整形外科医である。
「いやあ、脂肪吸引でくたびれちゃって」
脂肪吸引は、ハンドポンプでロードレーサーのタイヤの空気をぱんぱんになるまで入れるような行為らしい。やったことある人は分かるだろうけど、あれはそうとうきつい。美容整形外科医は、職人的に精密な手技と、タフな反復的肉体作業を要求されるらしい。
ちなみに吸引された脂肪は、ほんとうに映画ファイトクラブにでてきた、バターを溶かせて赤濁させたようなあんなかんじだという。
岡山大学医学部では体育会系で、それも空手道部だった。3年生のときウインドサーフィンを知り、やりたくてたまらなかったが、硬派な先輩や仲間たちに、なんだぁ、ウインドォ?、サーヒンだぁ? と言われるのが火を見るより明らか(紋切り調)だったので、始められなかった。ウインドは始められなかったが、かたじけないことに、本誌は買っていたという。
——ようやく、部を引退した5年生(医学部なので6年ある)のとき、忘れもしない8月、小田さんはウインドを始める。
とはいえ、道具を買う金がなかったので、ショップの前に捨ててあったボードを——さすがに昼は恥ずかしいので夜陰にまぎれて——拾うことから始まった。
オールラウンドボードで、マストは折れていて使い物にならなかった。
中古ショップでマストを買った。トップが曲がっていたが、ショップの親父は、セッティングしたらどうせベンドするんだから問題ねえべ、と言う。2000円。
ガストラの、キャンバーのはしりの中古セイルは3000円。ブームは未使用だったが1000円。年式が古かった。しめて5000円のフルコンプリートである。
うきうきと岡山は渋川海岸に出かけたが、乗り方はもちろん、セッティングのやりかたも分からない。
ビーチにいたウインドサーファーのおっちゃんに訊いたが、おっちゃんも分からない。ブームをマストに固定する方法が分からないのだ。
最近のブームジョーのようにクランプなんてついていない。マストとブームを並行にしてシートで結び、きりきりきりとブームを立て、シートのテンションで固定すると気づくのにしばらくかかったが、海に出ると、けっこうかんたんに乗れてしまった。
でも、方向転換が分からないので、するするするとビーチから離れると、興奮よりビビりが勝った。

卒業とともに医師免許の国家試験を受けるのだが、小田さんは受験したくなかった。
合格すると自動的に研修医(最近はインターンとは言わないらしい)になるが、猛烈に忙しくてウインドサーフィンどころじゃなくなるからだ。
受験しないつもりだったが、それは極めて異例で、友人らにも説得され、受験した。
ただ故意に、まったく勉強せずに。
医師国家試験は6割ないし7割正解すれば合格するが、勉強しないで4割5分正解したのでかえって安心した。ともあれ、小田さんは一年間の猶予期間を得た。
家庭教師と、夜は荷役のアルバイトをした。車にボードを積んで夜勤にむかい、翌朝、海に出た。
翌年国家試験にパスし、高知の県立中央病院に研修医として勤務。土曜の夜から月曜朝まで当直で、休みは月に一日。休日に吹くとは限らないから、高知にいた2年間のあいだ、2、3回しか乗れなかった。
それから東京へ。ある程度休みが取れるようになり、夏に本栖に数度通う。
その後、かねてよりいちど住みたいと思っていた北海道の病院に2年間勤務。
休日には銭函海岸や洞爺湖でウインドサーフィンした。それから愛媛の松山市へ。
3年前から現在の十仁病院に勤務している。
小田さんは麻酔医としてスタートしたのだが、麻酔医として手術に参加することを重ねるうち、外科医になろうと思った。しかし彼は拙速ではない。
外科医?、と考えた。
これからは、遺伝子治療などで、執刀する機会はどんどん減ってゆくだろう。
きわめて技術的な仕事だが、結果はある意味曖昧だ。開腹手術しても、閉じてしまえばどんな「仕事」だったかは、良きにつけ悪しきにつけ、見えなくなる。
外科手術はもちろん患者を救うが、手術を受けるのは大半が老人であり——小田医師がそう言ったのではないが——手術が成功しても年齢ゆえ残り時間はあまりなく、本人を苦しめるだけの延命になりかねない。
それに、大学病院や大病院では外科医師は(内科や他の医師もそうだが)年功序列で、出世や収入は能力実績に比例するわけではない。
美容整形外科医ならばどうか?
手術の巧拙が明らかで、患者のヨロコビに直結する。いわゆる病気を治すわけではないが、老若男女を——とくに若くてこれからの人を——シアワセにできる。患者は病院と言うより医師につくので、カリスマ美容整形外科医になれば、収入はカリスマ美容師の比ではない。
実力の世界だから、厳しくもある。美容整形外科医として生き残れるのは、半分か3分の1くらいだという。
——え? 小田さん、美容整形外科医でやってけなくなっても医師は医師でしょ?
すると小田さん、ちょっとこわい微笑で、
「どこの世界にも落ちてく先はあるもんですよ」
いや小田さん、落ちてく先があるのならいいですよ、フリーのライターなんてホームレスですからね正味の話し、といいかけて飲みこんだ。文脈が急に矮小になっちまったぜ。

とまれ小田医師、顔だけではなく、豊胸手術、大きすぎる胸を小さくして上げる(けっこう多いそうだ)など、全身を守備範囲にしていて、花の銀座は十仁病院で大忙しである。小さな手術は5分で終わるというが、日に15回、多いときは20回手術をこなすというから。
とうぜん収入も、例によって、500打席のボーナスを得たメッツ新庄より多い(のではなかろうか)。
クルマは、メルセデスのEクラスワゴン、アウディのTTロードスター、それにウインド用のダッジRAM。
お住まいは、そのゴージャスさからしばしにテレビや建築雑誌で紹介される港区海岸のメゾネットである。
レインボーブリッジのパノラマビュー。天井の高さは5.5mあり、リビングでセッティングができる。いやマジで。
ウインドサーフィンはずっと続けているが、休日は贅沢な環境で過ごしたいので、日本では本栖湖でしか乗らない。あとは、年に一度休暇をとってサイパンとかマウイにセイリングトリップにゆく。
なのでこのところ、年間のセイリング日数は十数日だったが、今年、それが増えた。
あるホームページで、本栖は春も吹く、と知ったからだ。雪が残っていて、もちろんドライスーツが必要だが、夏と同じ風が吹き、5.5㎡で、あのゲレンデにたった4人、なんて日があるそうだ。
本栖はフラットなはずなのだが、夏はセイラーのマニューバーでぼこぼこになってスピードが伸びず、カーヴィングもやりにくい。
けれど4人なら?

病院の休みは火曜日と木曜日。
晴れて吹きそうなら、本栖にゆく。
心配な入院患者がいれば、朝いちで病院に寄り、それから中央高速で本栖に飛ばす。
仕事も生活も、すばらしく充実しているという。