………………PRAY FOR JAPAN ウインドサーファーからのメッセージ………………

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photographed by Mitsuyuki Shibata + Taisuke Yokoyama// designed by Akito Ueno
❶ 3.11のあの時、何をされていましたか?
❷ 3.11以降、なにか変化がありましたか?
❸ 今後の生活ビジョンは?
❹ 今後のウインドサーフィンライフは?
❺ 現在、ご自身のために、あるいは社会のために、
■-やっていること。やろうとしていることは?
❻ 日本人へのメッセージを
❼ なにか伝えたいことがおありでしたら■-







▼ message from windsurfer

Takashi Noguchi

野口貴史
(39歳・プロウインドサーファー)
J-39/WSF歴=20年

御前崎ビーチパトロール担当日だった。(海難事故や車上荒らし等の未然防止、海岸利用の調査などのため、御前崎市、JPWAより委嘱されている)
午前と午後のパトロールを終え、海に出ようとセッティングを始めた。
ロングビーチはそれほど揺れなかった。ビデオを撮影している人や、携帯電話の画面の1点を集中して見ている人、ほんの数名が気づいた程度だった。
その場に一緒にいた、同じくビーチパトロール隊員である松井プロの携帯に、石井プロより着信、「東北の太平洋岸が津波で凄いことになっている。御前崎一帯も津波注意報が出ている」
御前崎観光協会に連絡を取る、注意報の時点では強制退去は必要ないと判断だったが、直後消防から大津波警報に変更という情報が入り、我々も即時動いた。
若手の板庇雄馬プロも加わってくれ、ビーチ際から避難を呼びかけた。呼びかけに気づかない者、気づいても見て見ぬふりをする者、なんかあったの? とのんびり聞いてくる者、露骨に嫌な顔をする者もいた。自分が逆の立場で、なんだか分らず上げられたら同じように嫌な顔をしたかもしれない。
緊急防災放送が流れているが、風の海上では聞こえないだろう。非常に厄介だ。なお海から上がらないウインドサーファーを退避させるため、牧野秀紀さんがウインドで出てくれる。動き出してから、全員を海から上げるまで約25分かかった
パトロールカーに乗り込み、一帯の海岸線にいる人たちに避難勧告するため1時間ほど走り、観光協会でウエブカメラのライブ映像、および、港を見渡せる4階から海面を監視して、2時間半後に帰宅した。
僕ら海で遊ぶ者が、遭難と避難を分ける最前線にいると改めて認識した半日だった。

その後、東海、東南海大地震が予想される御前崎防災についての話し合いに、何度か参加した。
今回、25分で全員避難させたことを、現場にいたローカルサーファーから褒められた。
数年前、御前崎で津波警報が発令された時、消防車やパトカーが駆けつけ避難勧告にあたったが、多くのサーファーはなかなか上がらず、全員を上げるまで3時間を要したという。
とはいえ、25分だから良かったという話しではない。東海・東南海が揺れたら、わずか5分後、御前崎は津波に襲われるという。浜岡には原発もある。「そのとき」命がけで避難勧告してくれる者はいないだろう。
海に入る者は、自分自身で我が身を守る。肝に銘ずるべきだ。
東京で行なわれた、渚の交番会議でも防災会合が行なわれ、収穫があった。
今までありそうでなかった、マリンスポーツ愛好者のための視覚的避難告知について、宮崎、御前崎、千葉外房、内房三番瀬、鎌倉、浜田、沖縄にある渚の交番関連の7団体で協議した結果、今後は、津波警報や雷警報が出た際、防災放送だけでなく、「オレンジ色」の旗等も加えようということになった。地区によって告知手段に多少の差──旗ではなくフラッシュライトであるとか──が発生すると思われるが、「オレンジ色」のサインは今後──法的拘束力とか面倒なことはさておき──緊急避難命令であると認識してください。
告知です。
5月21日開催予定の御前崎市防災訓練はビーチでも行われる予定です。他、御前崎市内公共施設海抜一覧など防災情報は、私(野口貴史)のサイトにアップしており、更新してゆきます。
http://www.f-wave.net/

「そのとき」自分の身を守り、かつ少しでも多くの仲間を安全に誘導するにはどうすればよいか、真剣に、具体的に考えるようになった。

変わらない。

これまで以上に海を愛し、尊重し、プロ選手として更に良い結果を残せるよう努力する。

普段と変らない生活を送りながら、普通に消費する。節電はもちろん、少しでも長く被災者の方の支援ができるように募金等に協力したいと思う。

被災された海の仲間の皆さん、必ずまた一緒に、海に入れると信じています。

Yasuyuki Araki

荒木康行
(32歳・WSFインストラクター)
WSF歴=10年

逗子で3名にインストラクションをしていた。
南西の風、7m/s。6.0㎡でプレーニング可能。海上なので揺れには全く気付かず、ビーチにいた各スクールのスタッフが腕を振り、上がれと合図、声は聞こえないが地震と直感しました。(揺れを陸で経験しなかったことは残念。経験者は次の大地震に遭ったとき、未経験者より冷静に対処できるだろうから)
自分のスクール生、周囲のウインドサーファーたちに声をかけて浜にあがり、手早く道具を片づけてフェザー店内に避難。
停電していてテレビやPCが使えず震源や状況がわからない。
揺れの約40分後潮が上がり、波打ち際が134号線の近くまで迫ってきた。その後一気に、大潮の干潮時よりも100m程沖合まで潮が引き、見たことがない岩礁や砂底があらわになった。この時点で津波を覚悟し、どうやって避難しよう、など一瞬で色々なことを考えた。
結局大きな上げ潮は来なかったが、その後も短いピッチで潮の上げ下げがあった。
葉山港の漁船は沖合に避難し、逗子湾内は見た事もない潮の流れ(渦とまではいかないが)が至るところに。
停電のためシャワーも使えず、真っ暗な自宅に帰宅し携帯のネットで情報を収集した。
❷❸
逗子での安全、被災者への思い、ショップの経営……スタッフとともに、スクール再開時期など相当熟考しました。震災は他人事ではないと実感し、いまここで地震が起きたら、どう行動すべきかと、常に考えるようになりました。
❹❺
職業上、311以前から、海で事故を起こさないことを最優先事項としてきました。
常々、海上にいるときは「もし何かおきたらどうするべきか」を考えながらセイリングするようスクール生には言ってますが、今後はより具体的に「あの津波が予測されたら」に変えようと考えています。

未曾有の大惨事が起き、混乱している現在、否定的な言動、行動は意味がないと思います。
誰もが努力しています。
電車の遅れ、計画停電、店の対応などにクレームを言ってる人を見かけますが、ウインドサーファーは現実を冷静にうけとめてるように感じます。ウインドサーファーだからできる何かがあるのではないでしょうか。

Ryutaro Ohishi

大石隆太郎
(37歳・株式会社マニューバーライン勤務)
WSF歴=19年

埼玉へ営業に行くため東京の事務所から営業車を出した直後、車が左右に大きく揺れだした。すぐに徐行し、辺りの様子を伺うと、周りの電柱、信号、看板、さらにはビルや家屋が波を打つように揺れ動いていた。
反射的にブレーキを踏み、路上に停車。生まれてはじめての光景に見入り、恐怖し、ビルが倒れ、道路が陥没するのではと身構えた。
恐怖に声を震わせながら、状況を何度も繰り返すカーラジオのDJ、揺れが長く、長引けば長引くほど、最悪の状況がイメージされた。
最初の強い揺れが落ち着くと建物からたくさんの人が屋外に湧いて出てきた。
消防車のサイレンが鳴り渡り、津波や火災のニュースが入り始め、一息つく間もなく、2波3波と強い揺れが襲ってきた。一度はそのまま営業に向かうことも考え、車を走らせたが、首都高は通行止め、都内の状況を冷静に見るとパニックに近い状況になると考え、事務所に戻ると、社の全員がビルの外に退避し途方に暮れていた。
社内、倉庫の凄まじい状況を伝えられ、暗然とした。業務はいい、とにかく帰宅せよとの指示。
鉄道やバスは麻痺、車で社員を送る。都内は帰宅困難者が溢れ、歩道を塞ぎ、車道にも車が溢れていた。1時間で1kmしか進まない。コンビからはすでに食べ物が消滅していた。
自宅に戻れたのは翌朝の6時、12時間後のことだった。その時点では業務の今後を考える余裕はなかった。

安心しきっていた日常が危険と隣りあわせであることを思い知らされ、ヒトなど全く太刀打ちできない自然の暴威に、恐怖・不安・悲しみを感じた。でも同時に、被災地から遠く離れたいつもの海辺で、いつものように、人々が遊んでいる。人は自然に癒され、自然に生かされてもいる。そのことを、一段深く再認識した。

以前と全く変わらない。海で友と遊ぶ。

これまで通り楽しむ。

ギアサプライヤーとして、311以前以上のサービスを提供し続けること。環境的、経済的な困難に負けないこと。

被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、復興に尽力されている方々を尊敬、応援しています。一日でも早く、被災者の皆様が安心な生活をリスタートできますように。
また、ウインドサーファーの皆様、不安な日々は続きますが、安全に配慮して海に戻り、遊びましょう。ここで立ち止まれば、新たな仲間や子供たちがいっそう海と疎遠になるでしょう。私たちが海にいることが、日本人の、精神的健康にもつながるのではないでしょうか。

頑張る、できる。それがニッポン人。義援金、ボランティア、祈り、日常維持、とにかく頑張りましょう。ウインドサーファーはことに頑張り屋さんが多いので、みんなでやったりましょう!

MOTOKO

MOTOKO
(38歳・プロウインドサーファー)
J-0/WSF歴=20年

西風が吹く御前崎ロングビーチでいつものように練習していました。
海の上では全く揺れに気づかず、インサイドでジャイブしたときにサイレンのような音が聞こえましたが、火事かな? くらいの認識で練習を続けていました。
しばらくしてビーチから、野口、松井、板庇プロが、大きく手を振りながら大声で「あがれ~」と叫んでいるのが聞こえ、すぐにビーチに上がり、大きな地震があって津波警報が出ていると知りました。
詳しいことは分かりませんでしたが、私は直ちに練習中子守りをお願いしていた友人の家に向かいました。
テレビのニュースで、太平洋岸に広く大津波警報が発令されていることを知り、また実家のある福島も被害が大きかったことを知って、すぐに両親に連絡をとろうとしましたが、自宅の固定電話も携帯電話も全くつながりませんでした。(その後無事を確認。現在両親は私の家に退避中)。幸い御前崎には大きな津波は来ず、大津波警報は翌日解除されました。

きずなを強く感じました。家族のきずな、仲間のきずな、日本人のきずな、世界のきずな……。
そして、いま、世界中から数え切れない支援と思いが日本に寄せられています。みんなの力が集まれば、本当に大きな力になる。そう強く実感しています。

今までの生活を崩すことなく淡々と続けていく一方で、被災地への関心を持って、自分が出来ることを見つけ、少しづつでも続けていきたいと思っています。
ここ御前崎でも同様の震災が起きる可能性があるので、普段の生活の中で、防災に関しての意識も高くもっておきたいと思っています。

ウインドサーファーは、人間の思うようにはいかない自然の力を少なからず学んできたと思います。ですが、これを機会に、もう一度自然とのかかわりをしっかり考え、そして謙虚な気持ちを忘れることなく、安全面にも今まで以上に気を配っていきたいと思います。
プロウインドサーファーとして、今後もしっかり練習に励み、そして、海の楽しさを少しづつでも、伝えていきたいです。

節電、節水、節油、また正しい情報を把握するように、風評に流されないように、努めています。わずかですが募金や支援物資の提供をし、マウイの友人からのチャリティーネックレスの販売提案に賛同し、呼び掛けをしながら協力しています。
福島で被災した両親が御前崎に避難してきているので、両親のサポートもしっかりやってあげたいと思っています。
時間の許す限り被災地の現在の状況に関心を持つようにしています。
赤ちゃんがいるので、なかなか動けない状況ですが、今後も自分に協力できることがあれば積極的に参加していきたいと思っています。

被災者の方々へ。本当につらい出来事ですが、必ず状況がよくなる、必ず元気になれる時が来ることを信じて何とかこの困難を乗り越えていってください。
ウインドサーファーの皆様へ。謙虚な気持ちを忘れずに、これからも海を楽しんでいきましょう。私たちが海の楽しさを少しづつでも伝えていけたらいいですね。
一般日本人の方へ。正しい情報を把握して、冷静に行動するとともに、被災地への関心を忘れることなく、小さなことでも、自分たちが出来ることを実践してゆきましょう!

Toshihiro Ono

小野敏廣
(61歳・自営)
WSF歴=31年

溜池で来春卒業の学生を面接していましたが、むろん中止。向かいのビルの屋上に設置された、高さ10mほどのモニュメントがぐらぐら揺れ、屋上から落ちそうでした。
16時ごろに溜池を車で出発。横浜の自宅に帰り着いたのは午前1時半。徒歩と変わりない遅さでした。夜中に大勢の人々が国道を歩く姿は異様でしたが、心強くもありました。沿道の店が多くが徒歩帰宅者のため店を開けており、日本の暖かさ、連帯感を感じました。
ですが、みなとみらい地区は人もおらず、車もほとんど走っておらず、まるでゴーストタウン。あらためてこの震災の深刻さを認識し、そら恐ろしい感覚に襲われました。

営々と築き上げてきた生活は何とはかなく奪われるものか、それは明日、我が身にも起こりうるのだと、日本人全てが痛感しているのではないか。
無数の蟻の群れがバケツ一杯の水に翻弄されるのと同じ。しかし人間は蟻ではない。言葉を持ち、ビジョンを持ち、戦略を持っている。まず家族を、従業員を、そして困難に立ち向かい、折れそうになっている人びとを支える。この困難な状況下、人間の人間たるゆえんを問う、壮大なドラマを見ているようだ。そしてあなたも、僕も、そのドラマにキャスティングされている。

変わりないと思う。ただきっと、感謝とか礼節とか愛情とか……、普段はあまり意識しない態度がすこし深くなるような気がする。

変わらない。自分の生活にとって家族とともに大事なことだから。

事業をきちんとやりとおす。まずは事業を通じて、被災された顧客を支援をしていきたい。

働き方、生き方がどう変化するのか、いまはにわかに判断できないが、この経験はきっと日本人の腹の底に沈殿し、思考や感情を分厚くすると思う。

311以降の日本人たちを見て、日本に生れて良かった、と日々実感しています。

Makoto Iwasaki

岩崎真
(45歳・ウインドサーフィン伝道師)
WSF歴=26年

京都の町を友人に案内してもらっていて、地震は全く気づかず。その友人への部下からの電話で、初めて地震のことを知りました。
阪神大震災のときに電話が一切通じなくなったことを思い出し、すぐに茨城南部の両親とショップ(スクール)に電話をかけました。数度目でたまたま実家には通じて安否確認が取れましたが(その数分後には不通に)、逗子、江ノ島はすでに呼び出し音もならない状態で、メールを送っても返信は無く、地元の状況が不明なままでした。
震源により近い実家でも、揺れによる被害はほとんど無かったとのことなので、湘南でもモノが落ちたくらいだろうと推測できましたが、問題は津波。ワンセグの映像は現実離れしたもので、いくら震源に近いとはいえ東北地方にあれほどの大津波が殺到していることを考えると、関東沿岸もただではすまないのではないか、しかしニュースでは1つ2つの同じ映像を繰り返すのみ……。
京都にいる身としては慌てたところでどうしようもなく、新幹線も止まっていたので帰りようもなく、とは言え何か情報は無いか……役に立ったのはTwitterでした。Twitterだけは生きていたのです。TLを追い、逗子スタッフのつぶやきを発見。
「今まで見たこともないくらい潮が引いてます!」
なぜか添付画像は見られませんでしたが、どこか緊張感の無さを感じ、ということはそれほど切羽詰まった状態ではないのかと思いつつも、その後の書込みが無かったので、避難しなくてはならない状況になったか……とも考え、建物はやられてしまったかもしれないとある程度の覚悟をしました。
連絡がとれたのは地震発生から6時間後くらいだったと思いますが、その時点では東北の被害があれほどまでに甚大であるとは知らなかったので、ともかく身近な人達が無事であったことに、とりあえず安堵しました。

自分の眼では見ていませんが、報道で、それまで握っていた手が津波で引き離されてしまったとか、誰かを助けに行ってそのまま帰って来なかったという話を聞くと、胸が張り裂けそうになります。これまでは震災などがあっても募金していただけでしたが、なにかしらボランティア活動ができないかと、自治体に電話したり、ネットで情報を集めたりしました。
被災者をより苦しめた、その後の原発問題(放射能汚染)は間違いなく人災であり、政府・東電の責任逃れや隠蔽体質は許しがたく、原発による発電は受動的賛成でしたが、現況のままであれば絶対反対派となりました。

自然のことは人間がどうこうできることではないので、一応気をつけたりはしますが、考えすぎても仕方なく、また、起こった場合は受け入れるしかないので、その要因による生活スタイルの変更は考えていません。
ただ、もし原発問題が悪化して汚染が拡大した場合は、何かしらを変えざるを得ないと思います。東電や政府の手落ちで、自分や家族や友人が汚染されるのを黙って受け入れたくはありません。

生活=ウインドですから、とくに変わることはありません。

経済活動を停滞させないこと。献血・節電・募金などできることをやること。口だけではなく動くこと。または、動く人がいたら、立場や主義などはなるべく排除して積極的に応援すること。
半年後、1年後、その先も、今の気持ちを忘れない、もしくは思い出し、必要であれば行動する用意を調えておくこと。

被災地の方へ、今は何も言えない=言葉が思いつかない、というのが正直なところです。ことに、安易に「頑張って」とは言いたくはないと思っています。

Yuji Wakimoto

脇元祐二
(50歳・自営)
J-46/WSF歴=30年

その日は、29th Micronesian Openの運営手伝いでサイパンにいて、地震があった時間帯は表彰パーティーで使う参加者のセイリング映像を撮っていました。
「日本で大地震だ!」
地元のタクシーの運転手が教えてくました。「東京に近いよ」
急いでセイリングセンターに行くと、ホテルでNHKのニュースを見た選手がおり、詳細を聞きました。
大会本部付近はガードマンが常駐するため、選手は道具を置いて帰りますが、津波に流される恐れがあるので急遽撤収。
午後7時前にサイパンに津波が到達するとのことで、6時半過ぎから強制的に、宿泊していたハイアットホテルの5階以上に避難させられました。メンバーの7階の部屋に仲間13人が避難。エレベーターも止められて缶詰状態でした。食べ物も飲み物も無く、ただNHKの悲惨な映像を見、不安に駆られ、日本に何度も電話するが不通。携帯メールでやっと家族の安否を確認。
2時間弱で避難解除され、やっとメシにありつけました。
地元逗子の情報を探し、ショップさんのブログに辿り着き、状況が少し分かりました。
サイパンではリアルタイムにテレビも見られました。反面、日本の停電した地域の方は、津波のことを知ったのは数時間後だったとのことでした。
翌朝、ホテルの支配人から小さい津波が到達したと聞き、津波警報も解除されたので大会は開催されました。しかし、日頃のマイクロビーチとは違い、干満が激しく、潮がいつもとは逆に流れたり、風も予報とは違ってあまり吹かなくなりました。午前中に明らかに津波と思われるそれが入り、ビーチ際の道具がさらわれそうに。この地震の大きさを実感しました。

避難意識(危機管理)、節電意識などが高まった。津波の怖さはあまり意識していなかったが、今回の震災で、避難場所などを、自宅ではもちろん、どのビーチに行っても確認するようになった。直ぐに持ち出せる避難用のバッグを準備した。

節電をしながら通常の生活が一番だと思う。買い占め、買いだめなどをせず、被災者のためにも何でも自粛をしない。ドンチャン騒ぎはしないが。

津波などの安全管理を高めながら、変わらぬスタンスで海に接し、楽しむ。

ソーラー発電を小規模ながら導入。海では避難方法を話題にするなどして皆の意識を高めている。被災された方々へは募金や救援物資を。

世界中が応援しています。復興には時間がかかると思いますが、少しでも早く元の生活に戻れますよう祈っております。

Takayoshi Yamamoto

山本隆義
(41歳・WSFインストラクター)
WSF歴=20年以上

インドネシアにいました。海から上がると、現地の人が、日本で大地震があり大きな津波が襲ったと教えてくれました。
情報が錯綜し、日本が壊滅したんじゃないかと思われるほどの話も伝わってきました。
現場に居ない、正確な情報が得られない、焦り、心配、恐れ、出口のない感情に苦しみました。
その後、かろうじて日本にいるスタッフ、家族と連絡が取れ、皆が無事で、なおかつ冷静に対処していることを知りました。

ありません。

これまでと同様に、状況を見て、自分なりの出来ることをやっていく。

同様に、コンディションに合わせて、自分なりに楽しませてもらいます。

ボランティア、義援金など出来る範囲で行っていますが、一時的ではなく、半年後、一年後、数年後と続けていくことが大切だと思います。また、具体的に行動しなくても、被災者の方を、思い、祈る時間を持つだけでもいい結果を生むと思います。
自分のためには、不必要な不安や心配はせずに、これまでどおり生活していきます。

地震や津波をインドネシアで知りました。
現地の多くの人が、心配し、悲しみ、心配し、愛情を持って日本のために日夜祈りを捧げていました。現地のテレビや新聞は、被災者なのに他者を思いやる行動を、敬意をもって報じていました。
この先も、私たちの行動は世界から観察されると思います。逞しく、優しく、カッコ良くゆきましょう!

TOMO Murabayashi

村林知安
(32歳・SUP、カイトのプロライダー)
▶WSF歴=14年

トレーニング&撮影のため石垣島にいました。その日の午前中から昼にかけて、風が吹いていたのでSUPでダウンウインド。
何事もなく海から上がり、昼ごはんを食べて、市街に戻っている時、御前崎の妻から電話、
「大きな地震があって御前崎も結構揺れたよ、東北が津波ですごいことになってるよ」
ラジオをオンにすると地震のニュースが。ニュースを読むアナウンサーの声音、内容からただごとではないなと感じた。御前崎に大津波警報、石垣島にも津波注意報が。妻に電話し、高台に避難するように念を押し、僕もそれから石垣の高台にある先輩の家に避難し、状況を見守りました。
海はいつもより潮が引いている感じで、辺りでは、消防車や警察が海へ近付かないようにと警報を繰り返していました。
幸い、御前崎も石垣島も津波の大きな被害はありませんでしたが、後日聞いた話では、石垣島にも小さいながら津波が到達し、定置網などが壊れ、漁業関係者の方々がダメージを受けたとのことでした。

津波災害、原発事故のショックが大きく気分が落ちこみました。海、自然の凄まじさ、偉大さを改めて実感しました。そして原発の危険性も改めて。

今までのように、今まで以上に様々なことに挑戦していきたいと思っている。海が好きだし、海で生きていきたい。

SUP、ウインドサーフィン、カイト、サーフィン、コンディションに合わせて楽しむ。

今までのように海に入り、目標に向かってがんばる。被災地の、海を愛する人達が、笑顔で戻って来る日が来るまで、僕達が、海と海でスポーツすることを守り、盛り上げてゆかないと。

津波被害はもちろんですが、原発の問題と海への影響は測り知れません。毎日海に入る僕達にとって、この状況はとても悲しく辛いです。
僕の周りの先輩達、仲間、多くの海を愛する人達は皆な前向きです。一刻も早く、日本全国の海に、安心して出られる日が来ることを願います。

Tomoko Okazaki

岡崎友子
(海山旅人について書いたり、海遊びを推進したり)
WSF歴=30年弱(えー、うそでしょう?)

マウイにいたのでもちろん地震はなく、翌朝目覚めてメールをチェックすると、母から「地震すごかったけどみんな大丈夫だ」と。
何人かの友人からも心配だとメールが届き、同居人たちからも「大丈夫か?」と。
「平気平気、日本人は地震になれてるし、よくあることなのよ」と、何も知らなかった私は受け流していました。でも妙なことに、ウエブカメラを見ると、いい波が入ってるのに一人も海に出ていない。
ひょっとして津波警報?
海のそばの友人に電話してみると案の定、ビーチクローズ、その時点でももまだ「え~、せっかくいい波きてるのにぃ」と脳天気なことを言っていました。
ビーチやビーチ沿いの道がクローズされたため渋滞していると聞いたので、仕方なく午前中は家で仕事。お昼ごろ海を見に行ってみると、ホキーパは最高のコンディション!
レインズから出たカイトサーファー2人がホキーパのいい波を独占していました。
ライフガードに聞いてみると、ホキーパビーチはクローズだけど、津波警報は解除されたので、自己責任でレインズから出ても文句は言わないとのこと。
ちょっと無謀かな、不謹慎かなとは思いつつ、波の誘惑に負け、急いでレインズへ。人のいないホキーパを満喫しました。「こんなときしか、カイトはホキーパで乗れないもんねえ」とカイト仲間とはしゃぎながら。
潮の満ち引きが大きくなったとは聞いていて、確かにホキーパとかレインズにも普段ではありえない位置まで波が寄せた跡がありましたが、そう大した印象は持たなかったのです。
夕方家に戻り、そこで初めて、インターネットのニュースやメールで事の重大さを知り、またマウイでも街のほうでは津波の被害があったり、避難命令が出ていたことを知りました。カナハはかなりひどい状況で、冠水、魚や亀がパークロード辺りまで打ち上げられていたそうです。
とはいえ日本とは比べ物にならない規模ですが……。
それから何日かはさすがに海に入る気にもなれないほど落ち込み、何をしたらいいのか途方にくれる思い。東北の友人たちのことも心配で、ネットやCNNでニュースを追っていました。

一日一日を大切に、充実して送れるよう努力。小さなことでくよくよ悩まなくなった。物欲が一切なくなった。あらゆる面で、自分に与えられているモノやコトに感謝できるようになった。(頭ではわかっていたけど、今は心から実感できる)

これまでも"LiveSimply"を指標に生きてきたけれど、さらにそれを推し進める。原発がなくても大丈夫なくらい節電し、自分にとって不要なものを潔く捨て、大事なもの、事は何かを常に考え、忘れないようにする。

ウインド自体は最近お休みしていますが、カイト、スタンドアップなどこれからもどんどん続けていくつもりです。
海に学び続けてきました。海でこれだけ遊ばせてもらったからこそ分かったことがたくさんあります。
自然の価値、保護、皆な頭では分かっているでしょう。でも、実際に海や山で遊ばないと、リアルに、フィジカルに、切迫したこととして捉えられません。だからこそ思い切り海で遊び、行動していきたいと思います。

できることは思いつく限りやってます。www.prayforjapanfrommaui.com
マウイのプロからたちのメッセージなどを集めて送ったりもしましたが、ほかにも多くの人が心を痛め、皆さんのことを心配し、そして応援しています。
個人的には、何か買いたい、食べたいときに、大事なものでなければ、そのつもりになって貯金し、それを寄付しています(余分なお金はあまりないのでそうやって貯めるしかない)
買い物をするときはチャリティーになるもの優先で選ぶと、ちょっと気分も晴れやかになり、自分にとってもいい感じがします。多くの仲間が、それぞれの現場で、地元ならではの支援活動をしていること、とても誇らしく思います。

東北に行くたびに皆さんの心のあったかさにふれさせていただいてきました。こんなにやさしくて世間でやっていけるんだろうかってこっちが心配になってしまうくらい……。
こんなにひどい災害に見舞われながらも、皆さんの心の温かさ、お互いを助け合い、思いやりを込めて行動している様子がニュースで伝わってきます。手をさしのべるべき立場の私たちが皆さんから学び、元気をもらったりもしています。
これから長い長い道のりだと思いますが、どうか一歩一歩前に進んでください。
私たちも、お手伝いをずっと続けてゆきます。その思いを保ちます。日本は確実にひとつです。みんなで一歩一歩、歩んでゆきましょう。

Dr.Nozawa

野澤賢之
(39才・歯科医師)
WSF歴=12年

治療に2時間を要する患者に、施術中に揺れました。
施術を中断できる状態ではなかったため、区切りの良いところまで進め、その後は法人傘下の各医院スタッフへの指示に没頭しました。具体的には、家族への連絡、飲料水の確保、いつもどおりには帰宅できないと考え、診療時間内でしたが、近くの飲食店で交代で夕食をとるよう指示しました。
少し大げさかなとも思いましたが、判断は誤りではなく、コンビニの棚も空になったあの夜、スタッフが飢えずにすみました。
車通勤者で分担してスタッフを家まで送りました。ひととおりの確認後、深夜葉山の自宅に帰ると停電で真っ暗、無人。妻と3人の娘は近くの小学校に避難していました。

諸々の儚さ、脆さを感じました。
そして自分を励まし、たとえその容量は少なくとも、責任を引き受け、リーダーシップをとらないといけない、世に避ける人と向かう人がいるとすれば、向かう人にならなければならないと思いました。

いつ何が起きるか分かりません。楽しみたいし、楽しませたい。仲間や家族と、喜怒哀楽の喜と楽を、できるだけ沢山共有したい。そのために、立ち止まらずに行動し続けたい。

今までと変わりません。
御前崎やマウイに通って、もっともっとプッシュしてゆきたいと思います。未知の外国のゲレンデや大会にも積極的に出向きたいです。

311がどうあれ、やっていることもやろうとしていることも変わりません。
もっとウインドサーフィンがうまくなりたい。もっとウインドサーフィンを普及させたい。http://tropityle.jp

上を向いて、前を向いて、ともに。

Takaya Hirano

平野貴也
(41歳・大学教員)
J-97/WSF歴=23年

海のコンディションを見に行こうと思っていた。もしコンディションが良かったら海上にいたかもしれない。リーフが遠いので、岸から呼ばれたり、サイレンが鳴っても聞こえない。「津波が来るかも」なんて気がつかない。ぞっとした。

海に出ていられることを心底、ありがたいと思った。
昨今の競争や閉塞、成果主義の中で忘れかけていたかもしれない、(日本本来の)互いに助けあうことの重要性、有難さ、温かさを再認識した。

海に出ることを最優先する生活に変わりはないと思う。軽はずみなことはいえないが「海を恐れず、侮らず、愛す」の精神を大切にしていきたい。

自分たちだけ海を満喫してていいの? とは思うが、ウインドや海から離れて生活することは考えられない。もちろん海には出続けるし、風と波を求め続けるウインドサーフィンライフに変わりはないと思う。
しかし、緊急時の対策と危機管理の重要性を再確認し、仲間と協力して安全で有意義なウインドライフを送りたい。繰り返しになったが。

沖縄では4月に海開きのイベントが各地で行われる。その際に緊急時の対策と危機管理について情報を共有したいと思っている。
海洋スポーツや野外教育について、学生や指導者に話す機会が多い。自然の偉大さ、海の大きさ、マリンスポーツの楽しさについて話していくのはこれまでと変わらないが、緊急時の対策と危機管理についての意識も高めてゆきたい。今後もマリンスポーツの活性化、特にウインドサーフィンの普及についてさらに努力したいと思っている。

沖縄でも、海は怖いものというイメージが充満している。もちろんあの、黒い津波の映像は私も忘れることができない。しかし海は敵ではない。ウインドサーファーじゃなくても。漁師じゃなくても。……被災者の方々、被災地の海の仲間たちに笑顔が戻ること、安心してマリンライフを楽しめるようになる日が来ることを心から祈っています。

Tomowo Ishihara

石原智央
(43歳・プロウインドサーファー)
J-15/WSF歴=24年

検見川のショップで、ON'Sの営業をしていた(^^ゞところ、揺れが。
揺れの強さは、2004年、現地で遭遇した新潟中越地震と同じくらいでしたが、地盤ごと水平にズレ動いているような揺れで、しかも異常に長い。
外に出ると液状化で電柱が倒れ、家屋が傾き、その家の人が悄然と立ち尽くしていました。
御前崎には、携帯はつながらないが、なんとかSkypeで無事を確認。
これは帰れないと腹をくくり、定宿にしている幕張東横インへ。いつもなら15分なのに、液状化による通行止めと大渋滞で2時間半かかりました。しかも満室やら停電やらで部屋は取れず。ホテルの横に車を停め、ボードやセイルをかき分け仮眠。
朝4時半に出発、しかし幕張周辺は渋滞でほとんど動かない。やっと首都高に乗れ、幸いにも東名まで開通していましたが、富士・静岡IC間は通行止め。御前崎に着いたのは、13時間後の17時30分でした。

津波の被災地や被災者、原発の情報が流れるたび、精神的に重くなります。同時に、今後どのように活動してゆけば良いのか、答えを探している状態です。海に出る意欲、時間は減っています。24年間ウインドをやってきましたが、このような精神状態は初めてです。

ウインドサーフィンの普及振興を目的として、仕事として、生活してゆく事は変わりありませんが、合わせ、海にかかわる教育(安全、環境保全)を勉強し、伝えていきたいと思っていま
す。

今まで通りに。

節電や募金等は行っています。それ以外に何ができるのかを検討中です。

とても難しい状況ではありますが、小さな目標でもいいと思います、それに向かって、一歩一歩あせらず進んで下さい。非力ながら応援しています。

いつか笑顔で海の上で会えることができればと思っております。

Hiromi Yoshida

吉田洋海
(23歳・プロウインドサーファー)
J-117/ WSF歴=10年

御前崎に練習に行く途中でした。

大会が延期になり活躍の場を失いました。

今まで通りの事を今まで以上に楽しくやっていきたいです。

僕の唯一のとりえであるウインドで皆を元気にしていきたいです。

この出来事で海から遠ざかっている人達を海に連れ戻そうとしています。

こんな時だからこそみんな自分の楽しみを大切にして明るくいきましょう。

Hideki Miki

三木英樹
(54歳・WSFギアディストリビューター)
WSF歴=36年

あの日は晴れていて、風もそこそこあった。窓外の材木座を見ながら、仕事を一時中断して乗ろうかと。
5.8㎡+83Lでウェイブかな、いや、オンショアだから、6.7㎡のカムセイルと102のスラロームのほうが楽しいかななどと考えていた。
グラッときた。54歳の僕が、生まれて初めて経験する、強く、長い、揺れと時間だった。
事務所の中にいた。取りあえずTVをつけ地震速報、間もなく停電した。すぐに復旧するだろうとタカをくくっていた。消防と警察のサイレンが近づいてき、アナウンスを始めた。
「津波警報が発令されました。海上に出ている方はすぐに岸に上がってください」
南西の風では聞こえるわけが無い。事務所のメガホンを仲間に渡し、砂浜でアナウンスしてもらったが、沖に出ているウインドサーファーには聞こえない。最終的には、鎌倉マリン連盟の有志がジェットを出して、浜に上がるように伝えた。
その間、注意報は、大津波警報に変わっていた。確か、津波の到着予定時刻は15:30頃と告知されたと思う。
今までにないくらい潮が上げて来た。2年前の台風の時よりも上がったと思う。しかもゆっくりとだ。寄せる波のようではなくではなくジワジワと。その後、多分16時ごろ、引き始めた。和歌江島の玉ジャリが全て露出してしまうほどに。その時点では全員が海からあがっていた。何か不気味であった。
しかし、みんな危機感は殆どなかった。まず、電気が通じていないため、外部の状況が解っていない。電気が切れるとTV、パソコン、トイレまで使えなくなる。ラジオは3つもあるのだが、いつもはACを使っている為、乾電池を用意していなかった。そうこうしているうちに日も暮れてきて、だんだんと事態の深刻さに気がついてきた。
17時ごろ、取りあえず乾電池とローソクを買おうと車を出したが、鎌倉市内は半パニック状態、電池もローソクもとっくに売り切れていた。

ウインドサーフィンの物販が非常に落ち込んでいる。吹いていても、材木座のウインドサーファーが少ない。残念であり、経営上の不安もある。

大きな変化はないが、地震、津波に対する防災意識が高まった。

やるよ、今まで以上に。連休が楽しみ、ニューボードも来たし。

チャリティへの協賛、節電など。

被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。避難されておられる方々のご健康維持、一日でも早い生活復興が成されますように。

震災後、海が怖くなった方々へ:
もともと、海は怖いものです。しかし、畏敬の念と正しい知識を持って臨めば、海は、私たちを迎え入れてくれます。
ウインドサーフィンは所詮遊びだと思われがちで、後ろめたさで躊躇してしまっている人もいるかもしれませんが、それによって我々の心も沈んでしまっていては、意味がないと思います。
ウインドサーフィンは海の大きさと一体になれる、他にはそうないスポーツです。皆さん、海に戻って、ウインドサーフィンで海に出てください。

Shigeki Matsui

松井重樹
(44歳・プロウインドサーファー)
J-18/WSF歴=23年

海に入ろうとチェックしていました。
(その後、野口プロらと、ロングビーチに出ていたウインドサーファー、サーファーらを退避させる。野口プロの項に詳細)

海がこんなにひどいことをするのかとショックを受けました。しばらくは海に入る気がしませんでした。

今までどおりです。支援の心だけは常に持ち続けていきます。

メディアで流れた怖い海の映像は多くの人の心に焼き付きショックを与えてしまったと思います。簡単ではないかもしれませんが、ウインドサーフィンを通じて、改めて海や自然の素晴らしさを感じてもらいたいです。特に子供たちにマリン教室等を通して伝えられたらと思います。

元気を出して精一杯生きて行く事。その中で支援の心を常に持ち続けていく事。ウインドサーフィンを通じて人の心を癒す事。

今回の災害により被災されました皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を願いますとともに、皆様に幸せな日々が早く訪れますように。
僕たちはこれからもこの日本で海とともに生きて行きます。謙虚に、そして堂々と。